他人の死に逢って衝撃を受けるのは,そこに己の死をみるからだ,といった人がある。
大往生だねとか,まだやりかけの為事があったろうに,とか。
まあ,そうした感慨を持つものには,概ね,まだやりかけの為事がある。
だから,概ね,溜め息をつく。
追悼号が出て,追悼大会が開かれる。
追悼大会には参加の予定だが,追悼号に追悼文は書かなかった。
こうしたところへ,いい加減いくつも書いた気分だったからだ。
誰かに逝かれて,その後に突飛な行動をとったとしたら,それはまあ無関係ではない。
中国旅行は,親父の一周忌がすんだら一度とは思っていた。
しかし,それが開封になったのは,多分,他にわけがある。
彼は,そこそこ功なり名をとげたんじゃないか。
私はまだ,何もしていない。
2013年12月25日 星期三
MEMENTO MORI
そして,NEVER MORE,またとなけめ,死は全てを終わるものである,何も無い。
百歩さがって千歩さがって万歩さがって,何かが有れば,それは別の生であって,本物の死ではない。
あちらには無いということすらも無い。
陰陽とか虚実とか,有無とか生死とかは,こちらがわにおいて相対し,完結する。
あちらとかこちらとかも,こちらがわだけに存る。
遺されたものにとっては,逝ったものは,逝った先に存る。
逝ったものにとっては,……何も無い。
過去は記憶に過ぎず,未来は予測でしかない。
あるのは現在のみ,そして現在は永遠である。
CARPE DIEM
百歩さがって千歩さがって万歩さがって,何かが有れば,それは別の生であって,本物の死ではない。
あちらには無いということすらも無い。
陰陽とか虚実とか,有無とか生死とかは,こちらがわにおいて相対し,完結する。
あちらとかこちらとかも,こちらがわだけに存る。
遺されたものにとっては,逝ったものは,逝った先に存る。
逝ったものにとっては,……何も無い。
過去は記憶に過ぎず,未来は予測でしかない。
あるのは現在のみ,そして現在は永遠である。
CARPE DIEM
2013年12月24日 星期二
2013年12月21日 星期六
なまけものの養生法
『靈樞』經脈篇:灸①則強食生②肉、緩帶被髮、大杖重履而步③。
①灸:陰陽十一脈灸經作“久”。
②生:陰陽十一脈灸經作“産”。
③重履而步:此後陰陽十一脈灸經有“久幾息則病已矣”七字。
病が久しければ瘦せ衰えているだろうから、食事を強いてでも肉づきを回復させ、この際、礼儀作法なんぞかまうことはないから、ゆったりした服装でざんばら髮で、步行もふらつくだろうから、しっかりした大きめの杖を持たせ、足が冷えるだろうから履き物を二重にさせる。こんな具合にして、充分に休息させれば、病もそのうち癒えるだろう。
あるいはまた『素問』四氣調神大論:冬三月,此謂閉藏,……早卧晩起,必待日光。
王冰注云:避於寒也。
①灸:陰陽十一脈灸經作“久”。
②生:陰陽十一脈灸經作“産”。
③重履而步:此後陰陽十一脈灸經有“久幾息則病已矣”七字。
病が久しければ瘦せ衰えているだろうから、食事を強いてでも肉づきを回復させ、この際、礼儀作法なんぞかまうことはないから、ゆったりした服装でざんばら髮で、步行もふらつくだろうから、しっかりした大きめの杖を持たせ、足が冷えるだろうから履き物を二重にさせる。こんな具合にして、充分に休息させれば、病もそのうち癒えるだろう。
あるいはまた『素問』四氣調神大論:冬三月,此謂閉藏,……早卧晩起,必待日光。
王冰注云:避於寒也。
2013年12月12日 星期四
2013年11月10日 星期日
異其篇章
……异其②章,别其表里,为之终始。……
②异其:准下句,此后当有脱字。本书《小针解》篇谓“声章者,言声与平生异也。”应据补“声”字。《太素》缺卷(指《缺卷复刻黄帝内经太素》)作:“篇”,义亦未安。
灵枢经(校勘本)刘衡如 人民卫生出版社 2013年6月第1版
小針解にいうところから採って「平生と異なり声が章らか」と解したのでは,下の「その表裏を別つ」と釣り合わない。
「その篇章を異にす」では,どうして「義また未だ安からず」なのか。実は『古漢語常用字字典』(第4版 商務印書館 2011年3月)には,異の義項として,①不同,不同的と②奇怪,驚奇しか載っていない。それでは,「分かつ」とか「別々にする」という意味は,本来の漢語には無かったのか。そんなはずはない。『漢語大詞典』では最初に,『礼記・楽記』の「楽者為同,礼者為異」を載せ,鄭玄注「異とは貴賎を別つを謂う」を引いている。区別,分開の義である。
2013年11月9日 星期六
2013年10月29日 星期二
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