『素問』生気通天論に,
陽氣者煩勞則張精絶 辟積於夏使人煎厥 とあり,また
陽氣者大怒則形氣絶而血菀於上使人薄厥 とある。
夏は下と同音である。両条の対比からみれば,辟積於下である可能性は有りそうに思うが,誰も言わない,らしい。何故か?おそらくは,校勘をする人たちの家法として,証拠の無いことには口をつぐんでいるべきだからだろう。誰も気づいてないとは思わない。『素問』の経文だから遠慮しているとも思わない。
2016年10月5日 星期三
夢断たれ漏尽き鐘鳴る
……それはまさに邯鄲の夢さめて,もはや余命いくばくもないのに,盧生が遺表をたてまつらんとて,なお二王の字を模写して,後世に流伝させようと考えたのと同じである。……近ごろ,他の人の翻訳のミスが気になってしょうがない。
上記は岩波文庫『陶庵夢憶』自序の一節だが,言わずと知れる,唐代伝記「枕中記」を下敷きに使っている。大出世した主人公は,寿命を全うして,その終に臨んで上奏し,皇帝からねんごろな詔が下った。その夕,逝去した。夢の中で死んだら,この世で醒めた。
だから順序として,「まさに邯鄲の夢さめて」はおかしいような気がする。主人公本人には自覚は無いにしても,「まさに邯鄲の夢さめんとして」のはずじゃ無かろうか。(訳者は,自分ではそのつもりかも知れない。)
自序の相当する部分は,「……正如邯鄲夢断,漏尽鐘鳴,盧生遺表,猶思摹搨二王,以流伝後世……」。そもそもかなり意訳していると思う。
いま手をつけている『大綱』の翻訳,できあがったら各方面からさんざんぼろくそに言われるだろうな,と思う。
2016年10月2日 星期日
2016年9月30日 星期五
篤
『笑府』巻十形体部
屄篤(松江人呼屄為篤)
人問其友曰:同一陰物,或称屄,或称篤,何也?友曰:毛而瘦者為屄,光而肥者為篤。因問令正有毛乎?無毛乎?其人即喝曰:咄。(咄篤同音)
按ずるに,字書には屄は女陰,𡰪は尾下竅で音篤とある。してみると,篤は性器ではなくて,肛門なのであろう。つまりこの笑い話は,岩波文庫の注「これは無毛だと告白したことになる」では,的外れということになる。女色か男色かとからかわれて,男色だと告白してしまったのである。
なんだか卑猥な話のようだが,そうではない。
屄篤(松江人呼屄為篤)
人問其友曰:同一陰物,或称屄,或称篤,何也?友曰:毛而瘦者為屄,光而肥者為篤。因問令正有毛乎?無毛乎?其人即喝曰:咄。(咄篤同音)
按ずるに,字書には屄は女陰,𡰪は尾下竅で音篤とある。してみると,篤は性器ではなくて,肛門なのであろう。つまりこの笑い話は,岩波文庫の注「これは無毛だと告白したことになる」では,的外れということになる。女色か男色かとからかわれて,男色だと告白してしまったのである。
なんだか卑猥な話のようだが,そうではない。
『太素』巻第十 経脈之三・督脈の「簊」は「篤」の誤りであろうという話。簊の下部の土は,実際には俗字で圡と書かれているからいよいよ篤と紛れやすい。篤、督、𡰪、䐁が同音で,尾下竅の意なら、䐁(字典は豚に誤る)が正で𡰪が俗であるが,篤と書かれることも有ったらしい。
其絡循陰器,合簊間,繞簊後,
楊注:督脈之絡,[從]庭孔,別左右,循男女陰器,於簊間合,復繞於簊後也。簊,音督,此□□□□後也。
2016年9月28日 星期三
疾病
『論語』述而と子罕に「子疾病」とあり,日本の学者は,どちらも「子の疾,病たり」と訓み,おおむね「先生のヤマイが重くなった」と現代語訳している。そして,日本で「疾病」を単に「病気」「病気になる」の意味に使うのは,中国での本来の意味とはズレているのだそうな。確かに訓詁の書を紐解けば,古くは「重病曰病,軽病曰疾」ではあるだろうが,「(軽い)疾が(重い)病となる」などという句は信じ難い。孔子様だから特別の訓を用意したわけではあるまいし。現代中国語訳は,おおむね「孔子患了重病」である。つまり,単に「先生が重病になった」。ヤマイを患った,「病」という字も用いているのだから,それは重病なんだ,である。ついでに言えば,『素問』『霊枢』に「病が重くなる」と解すべき用例なんぞ無いと思う。
2016年9月19日 星期一
2016年9月12日 星期一
翻訳
魯鎮的酒店的格局,是和別處不同的:都是當街一個曲尺形的大櫃台,櫃裡面預備着熱水,可以隨時溫酒。做工的人,傍午傍晚散了工,每每花四文銅錢,買一碗酒,——這是二十多年前的事,現在每碗要漲到十文,——靠櫃外站着,熱熱的喝了休息;倘肯多花一文,便可以買一碟鹽煮筍,或者茴香豆,做下酒物了,如果出到十幾文,那就能買一樣葷菜,但這些顧客,多是短衣幫,大抵沒有這樣闊綽。只有穿長衫的,才踱進店面隔壁的房子裡,要酒要菜,慢慢地坐喝。魯迅『孔乙己』冒頭の一段である。これが児童向けに改変されると:
魯鎮酒店的格局,是和別處不同的:都是當街一個曲尺形的大櫃台,櫃裡面預備着熱水,可以隨時溫酒。做工的人,傍午傍晚散了工,買一碗酒靠櫃外站着,熱熱的喝了休息;只有穿長衫的,才踱進店面隔壁的房子裡,要酒要菜,慢慢地坐着喝。これでもげっそりするのに,現代日本語訳なんて読む気にならない。
なかでも「魯鎮的酒店的格局」の二つの「的」は,欲しい。
2016年9月9日 星期五
然暑汗脈少衰不死
齊中御府長信病,臣意入診其脈,告曰:「熱病氣也。然暑汗,脈少衰,不死。」曰:「此病得之當浴流水而寒甚,已則熱。」信曰:「唯,然!往冬時,爲王使於楚,至莒縣陽周水,而莒橋梁頗壞,信則擥車轅未欲渡也,馬驚,即墮,信身入水中,幾死,吏即來救信,出之水中,衣盡濡,有間而身寒,已熱如火,至今不可以見寒。」臣意即為之液湯火齊逐熱,一飲汗盡,再飲熱去,三飲病已。即使服藥,出入二十日,身無病者。所以知信之病者,切其脈時,并陰,脈法曰「熱病陰陽交者死」。切之不交,并陰。并陰者,脈順清而愈,其熱雖未盡,猶活也。腎氣有時間濁,在太陰脈口而希,是水氣也。腎固主水,故以此知之。失治一時,即轉為寒熱。この「熱病氣也然暑汗脈少衰不死」を,明治書院の新釈漢文大系91は,「熱病の気なり。然れども暑汗して,脈少しく衰ふも,死せず」としている。つまり,「脈が少し弱くなっていますが,死ぬことはありません」である。
岩波文庫『史記列伝』は,「七十巻のうち第四十五の「扁鵲倉公列伝」と第六十八の「亀策列伝」のみを省略した。前者は医学の記述,後者は亀卜の方法について,私ども訳者の学力甚だ浅く,正確に訳しうる自身がないからである」としている。
岩波文庫が賢明なのか,新釈漢文大系が勇敢なのか。
『脈経』巻七・第十八に次のようにある。
……熱病,已得汗,而脈尚躁盛此,陽脈之極也,死。其得汗而脈靜者,生也。当然,(汗をかいたおかげで)「脈が少し弱くなっていますから,死ぬことはありません」である。
熱病,脈尚躁盛,而不得汗者,此陽脈之極也,死。脈躁盛得汗者。生也。
熱病,已得汗,而脈尚躁,喘且復熱,切膚刺,喘甚者,死。
熱病,陰陽交者,死。
熱病,煩已而汗,脈當靜。……
2016年9月7日 星期三
2016年9月5日 星期一
吏即來救信
……往冬時、爲王使於楚、至莒縣陽周水、而莒橋梁頗壞、信則擥車轅、未欲渡也、馬驚即墮、信身入水中、幾死、吏即來救信、出之水中、衣盡濡……信は車轅(ながえ)を擥(つか)んでいたのだから,車からは降りて橋の上に立っていたはずだと思う。車に乗ったまま,ながえをつかんだのでは,かえって危険だろう。壊れた橋の上に立ち,車のながえにすがって,水の流れをのぞき込んでいたとしたら,馬が驚けば橋の上の信も流れに墜ちる,ことはそれはあるだろう。
『史記』倉公伝・診藉
助けてくれたという吏はどこにいたのか。車が上図のようなものだったとすると,乗ってきたのは御者と信だろう。御者が救ってくれたのなら,「御者が救った」と書くだろうから,吏はお供の中にいたと思う。それが悲鳴を聞いてとんで来て,水中から救い出してくれた。呼びに行って,駆けつけて,というような悠長なことではなかったと思う。立っていた場所から直に飛び込んで,だったかも知れない。それでも「吏即來救信」と書いたんじゃないか。この「來」に,「やってきて」とわざわざ訳すような,それほどに重い意味は無いんじゃないか。「即」のほうが大事なんじゃないか。
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