2020年5月21日 星期四

霊蘭之室

私の怠惰と不注意で,閉鎖されていた「霊蘭之室」が復帰しました。
いや,別に難しいことが有ったわけではなく,ただ私が気恥ずかしくてもじもじしていただけです。
おそるおそる問い合わせたら,あっさり再開できました。
ただ,今後も書庫の文献の更新はできないだろうし,岐阜の読書会も休会のままです。

「霊蘭之室」が閉鎖されていた間は,たぶん見ることが出来なかったであろう「黄帝内経太素を読む」BLOGの記録「(過去の)萬愚節」を見つけました。
2004年4月から2005月3月の分だけで,その後どうなったのか,私も覚えてない。
記録に拠ると,神麹斎以外の最多の投稿者は十元さんか菉竹さん,ときどき南京の沈澍農さんの書き込みも有るという凄いものです。
いやなつかしい。
今は私個人のBLOGも,日本内経医学会のBLOGも(扱いやすい)Googleにしちゃったんで,中国からの書き込みは難しい。
残念だね。

2020年5月5日 星期二

ゲームに目くじら

自粛要請期間中に,スマホのゲームに,ゾンビウイルスが街中に発生し,ゾンビの侵入を防ぐために,これを焼き払い駆逐する,というのが存在し人気が高いのを知った。
このゲームの制作者あるいは愛好者が,新冠ウイルスをゾンビウイルスの一種と認識してないことを望む。

2020年4月30日 星期四

医古文の読み方

『霊枢』営衛生会篇
故曰,日中而陽隴,為重陽.夜半而陰隴,為重陰.故太陰主内,太陽主外.
故に曰く,日 中して陽隴,重陽となす.夜半にして陰隴,重陰となす.と.
気持ち悪い。
故に曰く,日中にして陽隴,重陽となす.夜半にして陰隴,重陰となす.と.
もしくは,
故に曰く,日 中して陽隴,重陽となす.夜 半して陰隴,重陰となす.と.

2020年3月31日 星期二

王様の新しい冠

結局,認識が甘かったということですかね,対処も手ぬるかったんでしょうなあ。

2020年1月1日 星期三

謹賀新年

去年もだけど 今年も
年賀状をつくる余裕がなかったので
むかしのものの再利用です

2019年6月30日 星期日

廃刀令

何かあったら,俺が守ってやるから,と約束して腰の刀を取り上げたんじゃ無かったのか。そういう約束じゃなかったのか。それを今さら,俺もしんどいから,おまえ,自分で用意して抱えていろと言われたって……。別にいいんだよ,こっちの兄貴に冷たくされるのなら,お隣りさんと仲良くしたって。

2019年6月6日 星期四

稚膽八郎

シーボルトの変名だそうである。
だったら,チイボルトとでもよませるつもりだろう,
といったら,ワカイと振り仮名があるんだそうな。
そこまで用心するか?と思った。
しかし,ワカイ・タンパチロウはなかろう。
稚膽でワカイ。
膽吹とか膽澤とかは,ご存じないにしても,
「熊の膽」は知っててほしかった。
ボルトがどうして八郎(ハチロウ)なのかはわからない。
ちと,お手軽に過ぎる,と思う。

2019年3月29日 星期五

はしか

HUFFPOSTというところに,

子どものとき予防接種せず、大人になって「はしか」になった男性。今みんなに伝えたいこと

という記事があります。


薪は尽きる 火は伝わる(として それで?)

老耼死。秦失弔之、三號而出。
弟子曰、非夫子之友邪。
曰、然。
然則弔焉若此、可乎。
曰、然。始也吾以爲其人也,而今非也。向吾入而弔焉、有老者哭之如哭其子、少者哭之如哭其母。彼其所以會之、必有不蘄言而言、不蘄哭而哭者。是遁天倍情、忘其所受。古者謂之遁天之刑。適來、夫子時也。適去、夫子順也。安時而處順、哀樂不能入也、古者謂是帝之縣解。指窮於爲薪、火傳也、不知其盡也。(『莊子』養生主)

で,
薪が燃え尽きようとしているとき,新しい薪をそえてやれば,火は燃え移る。もとの薪はたしかに燃え尽きるが,火は新しい薪に受け継がれる。
もしくは,
薪が燃え尽きようとしているとき,新しい薪をそえてやれば,火は燃え移る。たしかに火は新しい薪に受け継がれていくが,もとの薪自体は燃え尽きたのであって,何かが受け継がれるのなんのというのは,生死を一つと,真に悟ったものにとっては,どうでもいいことのはず。
あるいは,
「……譬えてみれば、薪であった時には、ここまで燃えたらそれでお終いと分かっていたのだけれど、いざ実際に火が伝わってくると、燃え尽きて一切がお終いだと得心できるほど、安らかにはなれなかったのだ。」

2019年3月10日 星期日

『霊枢』腸胃の文章を,『太素』によってみれば:

小腸後傅脊           左環  葉積
    其注於迴腸者 外傅於齊上         迴運環反十六曲……
       迴腸    當齊 左環迴周葉積而下 迴運環反十六曲……
廣腸 傅脊以受迴腸       左環  葉積上下辟……

だから,どうというわけじゃないけれど,こう同じ字句が繰り返されるとね,何か妖しい。
楊上善は,廻腸は大腸,廣腸は肛という(『太素』卷之九・經脈正別)。