2013年6月26日 星期三

如人將捕之

足少陰の脈は,腎の脈なのか。
それはまあ,経脈篇には「腎足少陰之脈」と書いてある。でも,だから腎の脈だと素直に思うほど,私は素直な人ではない。
経脈篇の流注をみると,腎に属し,膀胱を絡い,肝を貫き,肺に入り,また出て心を絡うという。してみると,三陽一陰説の一陰で,だからほとんど全ての蔵に関わると言いたいくらいだ。ただ,馬王堆の陰陽十一脈経でも,少陰脈は,腎に繋するといっている。十一脈経で五蔵との関係をいうのは極く珍しい。やっぱり腎の脈でいいのかなあ。
病症のほうで,他の蔵と関わりそうなのは先ず心の問題で,それに該当する文字は陰陽十一脈経にもある。少なくとも心腎の脈くらいの認識は望ましいんじゃないか。
で,気になるのは「心惕惕,如人將捕之」。この「人の将にこれを捕らんとするがごとし」は,邪気蔵府病形篇では,胆の病でいっている。四時気篇でも,邪が胆に在るときにいう。やっぱり,胆を介して肝との関わりも,相当に深いんじゃないか。やっぱり,ほとんど全ての蔵に関わるという認識も,あたり!なんじゃないか。

2013年6月17日 星期一

印鑑登録

実印は朱文でなければいけないのか,それとも白文でもいいのか。
私の住んでいる自治体のインターネット印鑑登録情報には,そんなことは書いて無い。そこで,わざわざ電話で問い合わせたら,朱文とか白文とかの用語がまず通じない。
で,押し問答のすえ,「印影を鮮明に表しにくいもの」に該当する可能性が有るらしい。こちらも胸くそ悪いが,むこうも小うるさい嫌な市民と思っただろう。
さらに,他の自治体の情報を調べたら,「外枠がない」ものを「印影が不鮮明なもの」の例に挙げているところもある。
本来の伝統からいえば,白文のほうが当たり前。白文にさらなる外枠なんか無いのが当たり前。だけど,お役所の決まり事ならしょうがない,かも知れない。だけど,ちゃんと書いとけよ!と,悪態くらいはつかせてもらう。

それにしても,例えば「佐木」さん,本来からいえば,正式文書に「々」なんて符号は使いたくないだろう。だけど,きっと戸籍謄本と違うから,「佐木」某は拒否されるんだろうねえ。ご同情申し上げる。

2013年6月14日 星期五

まだ読んでない愛読書

世界の魔術師がつどう町マジェイアに,ある日,犬をつれた一人の男が現れた。どうも彼は,“本物”らしい。
読んでないのだから,具体的なすじは知らない。でも,たぶん,本物の彼は,大舞台でスペクタクルな技を見せる大魔術師に憧れ,謙虚に学ぼうとして,やってきたんだろう。そこに種も仕掛けも有る,などということは思いもかけない。何故なら,彼は,枯れ木に花を一輪咲かせる程度の,ささやかなことなら,本当にできるのだから。で,そのうち,大魔術師のうちの何人かが,本物の彼が“本物”らしいことに気付く。そして,当然,嫉妬する。そして,……。
たぶん,こんな話じゃないかと思うから,それで充分だから,読まない。

2013年5月31日 星期五

毫針

『霊枢』九針論に,毫針の用法を説いて,一般的には「靜以徐往,微以久留,正氣因之,眞邪俱往,出針而養者也」と句読する。しかし,楊上善は「養者,久留也」といい,郭靄春はこれを採っている。そうだとすると,針を出してと久しく留めてとでは矛盾しないか。そこで,「眞邪俱往出。針而養者也」としたい。「往」と「出」は,同義あるいは近義の字を重ねたものであろう。あるいはまた,このところは四字句を主とするところからすれば,「出」は「往」についての注釈の文字の混入とも考えられる。
『霊枢経校釈』は,「出针以后,还要継続疗养」などというが,九針十二原にも「靜以徐往,微以久留之而養,以取痛痹」ということもあり,取りたくない。

2013年5月26日 星期日

黄帝内経霊枢集注

最近,大陸から妙に『霊枢』の参考書が入ってくるなあ,と思ってよく見たら,張志聡の『黄帝内経霊枢集注』が三種類です。学苑出版社と中医古籍出版社と山西科学技術出版社。こんなの何処が違うのかね。まあ,新たに印刷するにあたっての点校者が違う。でも,どんな人かなんて,インターネットくらいじゃろくに分からない。実はこの外にも,『黄帝内経集注』というのが浙江古籍出版社から出ていて,『素問』と『霊枢』の二つの部分が一冊に製本されている。で,私の持っているのは2002年12月の印刷なんだけど,今,本屋さんが広告しているのは2009年5月なんです。紹介の写真で見る限りでは同じもののようです。こんなの何処が違うの。まあ,誤植の訂正くらいはあるのかな。もの好きに全部持っている,あるいは見ることができる人がいたら,品定めをお願いします。

2013年5月15日 星期三

軍隊と慰安

軍と売春はつきもの。お言葉のとおりだと思います。
誤解が無いように,最初にことわっておきますが,題字しか読んでません。不愉快ですから。
で,無理矢理に鉄砲を担がされて,憎くも無い人を殺しに行かされるのと,無理矢理に慰安婦にされるのは似たようなものだとも思っています。
誤解が無いように,ことわっておきますが,どちらも非道だと言っているんです。軍隊が崇高な任務にあたっている雄々しい集団だなんて,全く思わない。

軍隊に慰安,それは必要でしょう。でも,くらいにしておけば,ってそれで済むような人たちじゃないわね。良民は兵士になんかならない,というのが中華の伝統だった,ような。

2013年5月12日 星期日

脈診なんて信じられない

脈を診て肺虚だとか肝虚だとか,左は外傷で右は内傷だとか。信じられない。
なんとか信じられるのは,速ければ熱で遅ければ寒とか,浮いていれば風で沈んでいれば湿とか。でもこれも,熱とか寒とか,風とか湿とかの概念に修正を強いるかも知れない。
あとは季節との親和性。季節との親和性から,あるいは五蔵の特質からしての身体状況が熱・寒・風・湿になりがちな傾向の検討。そこいらあたりまでは,まあ何とか。
その他は,あまりも陰陽五行説への依存が気に障る。いわばいわるるもの,という程度の説得力。

信じられる人は信じればいい。所詮は方便なんですから。マニュアル無しに診療なんてできない。信じられない人は,ぎりぎり信じられる何かを構築しなければならない。これは信じられないとか,ここまでは信じるとかは,所詮は五十歩百歩。

比較脈診の歴史は,『内経』の時代から有るには有る。でも,その中ですでに思いついているけれども,その中ですでに破綻していると思う。以降もことごとく失敗の歴史のように思う。現代の六部定位脈診は希有の例でしょう。それも何時まで無事だか。
有効なんですよ。でも,断じて行えば鬼をもうごかすというしね。比較脈診のかけらも無い臨床の世界も,ちゃんと存在すると思うしね。そのほうが黄帝医学の正統なんじゃないかと思うしね。

2013年4月20日 星期六

2013年4月13日 星期六

2013年4月7日 星期日

さくらはつねにあるものを

 けさふくかぜこそかなしけれ

だけど おとしよりはげんきだね といって わたしよりわかいかも たぶん わかい