2016年11月28日 星期一

針をつくる

『天工開物』錘鍛第十巻 針
凡そ針は,先ず鉄を錘(ひっかけたらす)して細条と為す。鉄尺(ものさし)一根を用い,錐(きりで穴をあける)して線眼を成し,条鉄を抽過して線を成し,寸に逐(したがう)って剪断して針と為す。先ず其の末を鎈(やすり)して穎(とがったもの)と成し,小槌を用いて敲いて本を扁(平らで薄い)にし,鋼錐で鼻を穿ち,複た其の外を鎈す。然る後に釜に入れ,慢火にて炒(いる)熬(じっくりいる)す。炒した後に土末を以て松木、火天、豆豉の三物に入れ罨(おおい)蓋(ふた)し,下火を用いて蒸す。針二三口を留め其の外に插して,以て火候を試る。其の外針の入手捻して粉砕と成れば,則ち其の下針の火候皆な足る。然る後に封を開き,水に入れて之を健す。凡そ引線して衣を成すと刺繡とには,其の質皆な剛。惟だ馬尾(福建馬尾鎮)の刺工が冠を為るには,則ち柳条軟針を用う。分別の妙は,水火健法に在りと云。

どうもやはり,鉄の針も,神戸源蔵さんのところで金銀の針を造っていたのと同様に,先ず針金にして,鋼鉄の板に穿たれた孔を通して引き,順繰りに小さな孔を通して引き,次第に細くしていったような……。

2016年11月10日 星期四

いまはむかし

むかしむかし、もしも日本が大統領制だったら、三井か三菱が当選するじゃなかろうか、とつぶやいて、不敬罪に問われたとか問われかけたとか、聞いたことが有るような無いような。

2016年10月27日 星期四

繁体字

『説文解字人体部位字研究』という本を手に入れたんだが,これが簡体字なんですね。だから:
《说文》:“头,首也。从页豆声。”
なんて滑稽なことになる。
「头」は,豆に従って声を得て意を受ける,と言ったって,豆なんてどこに……。
この種の書物くらい繁體字にならないものかねえ。
《说文》:“体,总十二属也。从骨豊声。” 

2016年10月25日 星期二

現代中国針灸学

黄龍祥さんの『経脈理論還原与重構大綱』の「書名に関して」に:
……2013年ころから,「針灸は中国で誕生して,西方で生長した」という議論が段々と国内に伝わって来て,国外の友人から度々わたしに質問が有る。針灸の定義は何か?針灸学の定義は何か?結局のところ「現代中国針灸学」というものは有るのか?前の二つの問題については,わたしも時に考えることが有った。ところが最後の鋭い問題については考えてみたことも無い。当時ただ黙々として自己に問うばかりであった。仮に「現代中国針灸学」なるものが真実存在するとして,わたしにそれと提示することができるだろうか?少なくとも針灸に従事する人が触れられようにできるだろうか?……
と言うわけで,黄さんの書は三部作で,続いて『中国古典針灸学大綱』と『中国新針灸学大綱』が出版されるはずです。そして最後の一冊が究極の目的だろうと思います。

2016年10月15日 星期六

辟積於下

『素問』生気通天論に,
陽氣者煩勞則張精絶 辟積於使人煎厥 とあり,また
陽氣者大怒則形氣絶而血菀於上使人薄厥 とある。
夏は下と同音である。両条の対比からみれば,辟積於である可能性は有りそうに思うが,誰も言わない,らしい。何故か?おそらくは,校勘をする人たちの家法として,証拠の無いことには口をつぐんでいるべきだからだろう。誰も気づいてないとは思わない。『素問』の経文だから遠慮しているとも思わない。

2016年10月5日 星期三

夢断たれ漏尽き鐘鳴る

……それはまさに邯鄲の夢さめて,もはや余命いくばくもないのに,盧生が遺表をたてまつらんとて,なお二王の字を模写して,後世に流伝させようと考えたのと同じである。……
近ごろ,他の人の翻訳のミスが気になってしょうがない。
上記は岩波文庫『陶庵夢憶』自序の一節だが,言わずと知れる,唐代伝記「枕中記」を下敷きに使っている。大出世した主人公は,寿命を全うして,その終に臨んで上奏し,皇帝からねんごろな詔が下った。その夕,逝去した。夢の中で死んだら,この世で醒めた。
だから順序として,「まさに邯鄲の夢さめて」はおかしいような気がする。主人公本人には自覚は無いにしても,「まさに邯鄲の夢さめんとして」のはずじゃ無かろうか。(訳者は,自分ではそのつもりかも知れない。)

自序の相当する部分は,「……正如邯鄲夢断,漏尽鐘鳴,盧生遺表,猶思摹搨二王,以流伝後世……」。そもそもかなり意訳していると思う。

いま手をつけている『大綱』の翻訳,できあがったら各方面からさんざんぼろくそに言われるだろうな,と思う。

2016年10月2日 星期日

備急方

中国のニュースです。飛行機に乗っていて癲癇で沫を吹いていたのを,乗り合わせた医者がスチュワーデスにスプーンと爪楊枝2本を持ってこさせ,先ずスプーンで舌をおさえて気道を確保し,爪楊枝を針の代わりとして頭部に施術して,10分くらいで回復させた。

さて,どのツボを取ったんでしょう。

南京で沈先生からいただいた『肘後備急方』には,針は,「治卒狂言鬼語方」として,「針其足大拇指爪甲入少許,即止」だけです。
多紀元簡の『広要備急方』には,「百会に灸すべし壮数に拘はらず甦て止べし」とあるけれど,機内で灸はすえかねる。

2016年9月30日 星期五

『笑府』巻十形体部
屄篤(松江人呼屄為篤)
人問其友曰:同一陰物,或称屄,或称篤,何也?友曰:毛而瘦者為屄,光而肥者為篤。因問令正有毛乎?無毛乎?其人即喝曰:咄。(咄篤同音)

按ずるに,字書には屄は女陰,𡰪は尾下竅で音篤とある。してみると,篤は性器ではなくて,肛門なのであろう。つまりこの笑い話は,岩波文庫の注「これは無毛だと告白したことになる」では,的外れということになる。女色か男色かとからかわれて,男色だと告白してしまったのである。

なんだか卑猥な話のようだが,そうではない。
『太素』巻第十 経脈之三・督脈
其絡循陰器,合間,繞後,
楊注:督脈之絡,[從]庭孔,別左右,循男女陰器,於間合,復繞於後也。,音督,此□□□□後也。
の「簊」は「篤」の誤りであろうという話。簊の下部の土は,実際には俗字で圡と書かれているからいよいよ篤と紛れやすい。篤、督、𡰪、䐁が同音で,尾下竅の意なら、䐁(字典は豚に誤る)が正で𡰪が俗であるが,篤と書かれることも有ったらしい。

2016年9月28日 星期三

疾病

『論語』述而と子罕に「子疾病」とあり,日本の学者は,どちらも「子の疾,病たり」と訓み,おおむね「先生のヤマイが重くなった」と現代語訳している。そして,日本で「疾病」を単に「病気」「病気になる」の意味に使うのは,中国での本来の意味とはズレているのだそうな。確かに訓詁の書を紐解けば,古くは「重病曰病,軽病曰疾」ではあるだろうが,「(軽い)疾が(重い)病となる」などという句は信じ難い。孔子様だから特別の訓を用意したわけではあるまいし。現代中国語訳は,おおむね「孔子患了重病」である。つまり,単に「先生が重病になった」。ヤマイを患った,「病」という字も用いているのだから,それは重病なんだ,である。ついでに言えば,『素問』『霊枢』に「病が重くなる」と解すべき用例なんぞ無いと思う。

2016年9月19日 星期一

謙下

『荘子・天下』:以濡弱謙下為表,以空虚不毁万物為実。
残念ながら,
濡弱を以て下に謙するを表と為し,空虚を以て万物を毁たざるを実と為す。
というような訓は,少なくとも文庫本の解説書には無いようです。

しかし,腑に落ちない。
一般に「謙下」を,「へりくだるくだる」と訓んでいるようですが,それなら「万物を毁たざる」との釣り合いからいえば,「万人に謙下する」とでも補って欲しい。

それにしても,弱は即ち弱なんですかね。むしろ弱あるいは弱と違いますか。