甲乙經卷之六・四時賊風邪氣大論第五
問曰 夫子之所言皆病人所自知也其無遇邪風又無怵惕之志卒然而病其故何也唯有鬼神之事乎
黄帝問曰今夫子之所言 病人所自知 其無遇邪風又無怵惕之志卒然而病其故何也
對曰此亦有故邪留而未發也因而志有所惡及有所慕血氣内亂兩氣相薄其所從來者微視之不見聽之不聞 故似鬼神
歧伯對曰此亦有故邪留而未發也因而志有所惡及有所慕血氣内亂兩氣相薄其所從來者微視之不見聽之不聞也
■は医統本,■は明抄本。明抄本には「鬼神」はいない?!
2018年10月18日 星期四
内は五蔵に属し 外は肢節を絡う
『霊枢』衛気第五十二の「其氣內于五藏,而外絡肢節」を,「其の気内は五蔵に于(ゆ)きて,外は肢節を絡う」と訓んでいるのをみて,びっくりした。びっくりして『漢辞海』を引いてみたら,「于」の語義として最初に載っていたのは,「赴く,ゆ-く」でした。なるほどねえ,辞書はこまめに引くべきだ,と感心した。
でもね。『太素』経脈標本でも「其氣內入于五藏,而外絡支節」だけど,楊上善注には「六府穀氣,化爲血氣,內即入于五藏,資其血氣,外則行於分肉、經絡,支節也」でした。それにね,『霊枢』海論に,「夫十二經脈者,內屬于府藏,外絡于支節」とある。『太素』四海合も同じ。
つまり,「絡」の下に「于」字を脱しているに過ぎないかもしれない。
でもね。『太素』経脈標本でも「其氣內入于五藏,而外絡支節」だけど,楊上善注には「六府穀氣,化爲血氣,內即入于五藏,資其血氣,外則行於分肉、經絡,支節也」でした。それにね,『霊枢』海論に,「夫十二經脈者,內屬于府藏,外絡于支節」とある。『太素』四海合も同じ。
つまり,「絡」の下に「于」字を脱しているに過ぎないかもしれない。
不合格!…?…!
医学部入試で女子が不利な扱いを受けていると騒いでいるけれど,何のこと?
誤解を恐れずに,というか,どのみち誤解は免れないと思うから言っちゃうけど,教育機関がどういう人材を育てたいと思うか,その為にはどういう者を受け入れるかは,基本的には自由じゃないの?
一律に女子を減点するなんぞという稚拙をやるからいけないのであって,要するに,欲する人材をより高く評価できるよう,入試問題(面接も含めて)を最大限に工夫すべきなんじゃないの?
そのようにしっかりとした問題をつくって,試験をしてみたら,女子の合格者のほうが多かったりして……。そのときあらためて,大学側に「おまえら馬鹿か?!」と言えばいいじゃない。
むかし,鍼灸師養成学校を受験したとき,一校からは合格通知をもらえなかったような気がする。どのみち第一希望じゃ無かったからどうでもいいようなものだけど(何という学校だったかも忘れた),ムッとはした。でもね,未だにまともな鍼灸師になれない(臨床家という意味ですよ)でいる現状をかえりみると,あの学校が一番正しい判断をしていたんじゃないかと思う。
誤解を恐れずに,というか,どのみち誤解は免れないと思うから言っちゃうけど,教育機関がどういう人材を育てたいと思うか,その為にはどういう者を受け入れるかは,基本的には自由じゃないの?
一律に女子を減点するなんぞという稚拙をやるからいけないのであって,要するに,欲する人材をより高く評価できるよう,入試問題(面接も含めて)を最大限に工夫すべきなんじゃないの?
そのようにしっかりとした問題をつくって,試験をしてみたら,女子の合格者のほうが多かったりして……。そのときあらためて,大学側に「おまえら馬鹿か?!」と言えばいいじゃない。
むかし,鍼灸師養成学校を受験したとき,一校からは合格通知をもらえなかったような気がする。どのみち第一希望じゃ無かったからどうでもいいようなものだけど(何という学校だったかも忘れた),ムッとはした。でもね,未だにまともな鍼灸師になれない(臨床家という意味ですよ)でいる現状をかえりみると,あの学校が一番正しい判断をしていたんじゃないかと思う。
2018年9月24日 星期一
販らんかな
明・藍格抄本の音釈の増注と重複記載は政府の再々校定によるもので,商業出版の販書目的などではなく,教育効果が目的なのだろう,といわれる。しかし。実のところ,対象の文字を誤り,奇妙な音釈をし,さらには同じ文字について,同じ一紙の中で重複記載を繰り返す。これでは抄者も頭注を施した戴霖も,さらには政府に校定を命ぜられた学者も,相当に阿呆である。
巻3の中管のところに『九巻』に云うとして,「鶻〔音許又音曷〕骭〔音旱又音干〕」とある。鶻は𩩲の誤り。しかも音は曷はいいとして,許は分からない。骭はさらに変だ。骬の誤りだが,音釈を施した人は,完全に骭と思っている。でなければ,音旱は無かろう。
少しだけ前に,鳩尾のところにも,実は同じ音釈が有る。ただし「𩩲〔音許干音旱又/曷骨音干〕」である。誰が書き足したんだか,𩩲の右下に小さく骭字が有るが,全く意味不明。
で,少しく頭を悩まして,音釈の二行目を1字ずつ下げるべきであることに気付いた。つまり3字目は左行の骨と右行の干を合わせて骭であり,その音釈として音旱又音干がある。そして上の𩩲に対する音釈の音許又音曷のうち又と音の二字を書き漏らしている。
抄者は間違えている。頭注を施した戴霖は,抄者の誤りを理解してない。そして,もとの校定をした学者は骬を骭を信じて疑わない。
本当かね。本屋が販らんかなで努力して,ぼろを出したんと違うか。
巻3の中管のところに『九巻』に云うとして,「鶻〔音許又音曷〕骭〔音旱又音干〕」とある。鶻は𩩲の誤り。しかも音は曷はいいとして,許は分からない。骭はさらに変だ。骬の誤りだが,音釈を施した人は,完全に骭と思っている。でなければ,音旱は無かろう。
少しだけ前に,鳩尾のところにも,実は同じ音釈が有る。ただし「𩩲〔音許干音旱又/曷骨音干〕」である。誰が書き足したんだか,𩩲の右下に小さく骭字が有るが,全く意味不明。
で,少しく頭を悩まして,音釈の二行目を1字ずつ下げるべきであることに気付いた。つまり3字目は左行の骨と右行の干を合わせて骭であり,その音釈として音旱又音干がある。そして上の𩩲に対する音釈の音許又音曷のうち又と音の二字を書き漏らしている。
抄者は間違えている。頭注を施した戴霖は,抄者の誤りを理解してない。そして,もとの校定をした学者は骬を骭を信じて疑わない。
本当かね。本屋が販らんかなで努力して,ぼろを出したんと違うか。
2018年9月17日 星期一
年寄=功を積んで高い位置にあるもの
わしは老人なんじゃぞ と おごそかに宣う
しかし 老人のかたわれは おおむね老人なんだろう
だれがだれを世話するのか
早い者勝ち か
しかし はやく耄碌したものが 先に逝くとは限らない
先に要介護になったかたわれよりも
介護していたものが先になる 別に珍しくもない
老人のかたわれ でなくて よりわかい世代のお役目
ということもある
きっと はやくお終いにならないかなあ と思われる
アカの他人に 業務として世話されたほうが マシかもしれぬ
しかし 老人のかたわれは おおむね老人なんだろう
だれがだれを世話するのか
早い者勝ち か
しかし はやく耄碌したものが 先に逝くとは限らない
先に要介護になったかたわれよりも
介護していたものが先になる 別に珍しくもない
老人のかたわれ でなくて よりわかい世代のお役目
ということもある
きっと はやくお終いにならないかなあ と思われる
アカの他人に 業務として世話されたほうが マシかもしれぬ
2018年9月13日 星期四
藍格抄本『甲乙経』の抄者
明・藍格抄本『甲乙経』には,誤字・脱字が甚だしいと,さんざんな言われかたであるが,重要な資料であることに疑いはない。
頭注を書いたのは,巻末に手跋を加えた戴霖であるというのには,反対意見は無さそうである。文字が似ている,らしい。戴霖が戴震の族弟であることは,他にも気付いた人はいると思うが,わたしもどこかに書いた。
では,本文を手写したのは誰だろう。まさかと思うが,本文と頭注の文字,似てないこともない。戴霖が自分で書き写したものを,自分で校正したんじゃないよね。だから,まさかなんだけど,巻二の経脈根結第五の初めのところに,「頭注」として「出靈樞二卷根結篇」とあるんです。こういうのは藍格抄本のはじめのほうだけに有るんだけど,他では本文あつかいの大字なんです。ここだけが頭注……,じゃないかな。
もし,本文の書き手も戴霖だったら,かれが頭注で指摘しているあまりにも馬鹿馬鹿しい誤字・脱字は,断らずに訂正できると思うんだが。
頭注を書いたのは,巻末に手跋を加えた戴霖であるというのには,反対意見は無さそうである。文字が似ている,らしい。戴霖が戴震の族弟であることは,他にも気付いた人はいると思うが,わたしもどこかに書いた。
では,本文を手写したのは誰だろう。まさかと思うが,本文と頭注の文字,似てないこともない。戴霖が自分で書き写したものを,自分で校正したんじゃないよね。だから,まさかなんだけど,巻二の経脈根結第五の初めのところに,「頭注」として「出靈樞二卷根結篇」とあるんです。こういうのは藍格抄本のはじめのほうだけに有るんだけど,他では本文あつかいの大字なんです。ここだけが頭注……,じゃないかな。
もし,本文の書き手も戴霖だったら,かれが頭注で指摘しているあまりにも馬鹿馬鹿しい誤字・脱字は,断らずに訂正できると思うんだが。
2018年6月29日 星期五
2018年5月29日 星期二
2018年5月27日 星期日
假廉
万暦本『金瓶梅詞話』第十七回で,弾劾された蔡京の子分に賈廉というのがいて,第十八回では王廉になっている。そこで最近出た翻訳では王廉は賈廉に改められている。で,本筋の巻き添えになりそうな西門慶が巻き添えを逃れる話は,賄賂を使って,弾劾書の名を賈慶と書き換えてもらったことになっている。書き換えたとは言うけれど,公文書ですからね,筆を加えて違う字に見せた,というようなことのはずでしょう。多分,西门を賈と誤魔化した。まあ,校正ということの理屈にもあっているように思う。でもね,岩波文庫の訳では,第十七回の弾劾された子分の中には賈廉の名は無く,したがって第十八回の王廉はそのまま,そして西門慶は賈廉と書き換えられた。慶を廉にというのも,筆書きならまあ何とかなりそう。この間,岩波文庫には,底本は本当はどうで,こうこういう理由で削ったとか改めたという注記は無い。乱暴な話だね。でもね,話の段取りとしては,賈は假に通じて,「いつわりの廉潔」のほうが「いつわりの吉慶」より,余程皮肉がきいていると思う。あるいはまた主人公の姓を,なんでわざわざ西門豹などという硬骨漢から取ったのか,の秘密もここにあるのかも知れない。そういえば,『紅樓夢』の主人公も,賈姓でしたね。賈という姓は,中国でさほど珍しくもないと思うけれど,どうしても「いつわりの」ととられてしまうのかもね。諱を避ける,なんて理不尽な習慣も,漢語というものの性質上,用心するにこしたことはない,なのかも知れない。
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