2023年4月15日 星期六
2022年4月6日 星期三
2022年4月5日 星期二
どこにどのような
針灸治療の根本は,どこにどのような問題が起こっているかを診て,どこにどのような術を施すか,に尽きる。
九針十二原篇では,微針を以て経脈を通じれば,病は癒えると言う。これを言ってみれば,壁のスイッチを押せば,天井の灯りが点るとする。いっそ,リモコンのスイッチと言っても好い。経路上に設置された豆電球が次々と点っていって,などということは無い。原穴に施術することによって,直接的に五蔵に変化が生じる。そのとき経脈が通じたと言う。どのスイッチが有効かは,触れてみて知る。五蔵に疾有れば,応は原穴に出る。その異変を解決するには,原穴に出現した異変を解決してやれば好い。五蔵に疾有れば,当に原穴を取るべし。異変を虚・満・宛陳・邪勝あるいは刺・汚・結・閉ととらえて対処しようとの記事も有るが,何となくの違和感を何となく解決する,と大雑把にとらえておいたほうが好いかも知れない。
どの蔵の問題かを推し量るための文字資料は,邪気蔵府病形篇に有る。どんな問題が起こっているかは,脈診で,緩・急・大・小・滑・濇,さらにはその甚・微で診る。緩・急は熱か寒かである。大・小は多気少血か血気皆少かである。滑・濇は,陽気が盛んで微かに熱が有るか,多血少気で微かに寒が有るかである。それぞれに相応しい施術の方針が導き出される。例えば,寒には針を深く内れて久しく留める。熱には針を浅く内れて疾く発する。滑には陽気を写して熱を去る。濇には針を久しく留めて,抜いた痕は素早く閉じて血を出さないようにする。大には微かにその気を写し,その血は出さないようにする。小は血気のいずれもが少ないのであるから,そもそも針治療の適応ではない。甘薬を処方する。
初歩的な脈診の知識からすれば,浮・沈と遅・数が無いのは奇妙である。遅・数はあるいは滑・濇に相当するのかも知れない。微熱と微寒なら,まあ対応する。浮沈は,羽・鉤・代・弦・石かも知れない。羽の浮と石の沈は問題無いとして,その中間に鉤・代・弦を配するのも,まあ不可能では無い。緩で弦などという脈状が存在しうるのか,という疑問の声が上がりそうだが,弦というのは弓とか琴とかの絃に限らず,さし渡した紐程度のものを言う場合も有るようなので,まあ好いかと。
それにしても五蔵の脈をどこの脈動で診るのか。原穴も考えたが,原穴で言われるほどの脈の変化を診うるものか。やっぱり脈動の代表的な部位,寸口で診るべきだろう。
また,邪気蔵府病形篇では寸口の脈診と尺膚の触診の一致が述べられている。緩・急・大・小・滑・濇は,元来は尺膚に触れて診る方法の知識を,寸口脈診に転用したものではないか。だから,若干の無理が有る。
経脈篇の主要な内容は,流注と病症である。その他に,治法の大概と人迎寸口診が有る。人迎脈口診は首と手首の脈の大小を比べて,陰陽の程度から病脈を割り出そうとする。もともと経脈論とは関わりは無い。本来の人迎寸口(脈口・気口)診は,人迎で陽の,寸口と陰の状態を候おうとする,優れて脈状診的なものである。陰陽の程度の比較から病脈を推測しようという工夫は,一つの試みには違い無いが,所詮は失敗したのだと思う。そもそも人迎と寸口を比べれば,人迎の方が大きいに決まっている,という意見がかなり古くから有る。
つまるところ,経脈の流注と是動病と所生病を覚えれば,そこそこの臨床は可能なはずである。ただし,どの経脈説を覚えるのか。『霊枢』の経脈篇か,馬王堆の陰陽十一脈か。
治法の大概も,盛・虚・熱・寒・陥下への対処だが,是動病・所生病との対応にはなっていない。やはり付け足しであろう。
2021年6月18日 星期五
怪我の功名
ヘマをして入院中で、活字も不足気味で、退屈の余り、偶々鞄に入っていた『黄帝針経講座摘要』(下記のオンライン講座用の手控え、小冊子)を何度か読み返す。イヤア、何ともはや、ツッコミどころ満載で……。
例を一つ、九針十二原の一節「覩其色 察其目 知其散復 壹其形 聴其動静 知其邪正」を、小針解では「覩其色 察其目 知其散復 壹其形 聴其動静」とは何か、「知其邪正」とは何か、と説明しているのを「如何にもおかしい」などと言ってましたが、誤解でした。
覩其色 /察其目 知其散復\
\壹其形 聴其動静/ 知其邪正
こうすれば、なんということも無い。