2016年10月27日 星期四

繁体字

『説文解字人体部位字研究』という本を手に入れたんだが,これが簡体字なんですね。だから:
《说文》:“头,首也。从页豆声。”
なんて滑稽なことになる。
「头」は,豆に従って声を得て意を受ける,と言ったって,豆なんてどこに……。
この種の書物くらい繁體字にならないものかねえ。
《说文》:“体,总十二属也。从骨豊声。” 

2016年10月25日 星期二

現代中国針灸学

黄龍祥さんの『経脈理論還原与重構大綱』の「書名に関して」に:
……2013年ころから,「針灸は中国で誕生して,西方で生長した」という議論が段々と国内に伝わって来て,国外の友人から度々わたしに質問が有る。針灸の定義は何か?針灸学の定義は何か?結局のところ「現代中国針灸学」というものは有るのか?前の二つの問題については,わたしも時に考えることが有った。ところが最後の鋭い問題については考えてみたことも無い。当時ただ黙々として自己に問うばかりであった。仮に「現代中国針灸学」なるものが真実存在するとして,わたしにそれと提示することができるだろうか?少なくとも針灸に従事する人が触れられようにできるだろうか?……
と言うわけで,黄さんの書は三部作で,続いて『中国古典針灸学大綱』と『中国新針灸学大綱』が出版されるはずです。そして最後の一冊が究極の目的だろうと思います。

2016年10月15日 星期六

辟積於下

『素問』生気通天論に,
陽氣者煩勞則張精絶 辟積於使人煎厥 とあり,また
陽氣者大怒則形氣絶而血菀於上使人薄厥 とある。
夏は下と同音である。両条の対比からみれば,辟積於である可能性は有りそうに思うが,誰も言わない,らしい。何故か?おそらくは,校勘をする人たちの家法として,証拠の無いことには口をつぐんでいるべきだからだろう。誰も気づいてないとは思わない。『素問』の経文だから遠慮しているとも思わない。

2016年10月5日 星期三

夢断たれ漏尽き鐘鳴る

……それはまさに邯鄲の夢さめて,もはや余命いくばくもないのに,盧生が遺表をたてまつらんとて,なお二王の字を模写して,後世に流伝させようと考えたのと同じである。……
近ごろ,他の人の翻訳のミスが気になってしょうがない。
上記は岩波文庫『陶庵夢憶』自序の一節だが,言わずと知れる,唐代伝記「枕中記」を下敷きに使っている。大出世した主人公は,寿命を全うして,その終に臨んで上奏し,皇帝からねんごろな詔が下った。その夕,逝去した。夢の中で死んだら,この世で醒めた。
だから順序として,「まさに邯鄲の夢さめて」はおかしいような気がする。主人公本人には自覚は無いにしても,「まさに邯鄲の夢さめんとして」のはずじゃ無かろうか。(訳者は,自分ではそのつもりかも知れない。)

自序の相当する部分は,「……正如邯鄲夢断,漏尽鐘鳴,盧生遺表,猶思摹搨二王,以流伝後世……」。そもそもかなり意訳していると思う。

いま手をつけている『大綱』の翻訳,できあがったら各方面からさんざんぼろくそに言われるだろうな,と思う。

2016年10月2日 星期日

備急方

中国のニュースです。飛行機に乗っていて癲癇で沫を吹いていたのを,乗り合わせた医者がスチュワーデスにスプーンと爪楊枝2本を持ってこさせ,先ずスプーンで舌をおさえて気道を確保し,爪楊枝を針の代わりとして頭部に施術して,10分くらいで回復させた。

さて,どのツボを取ったんでしょう。

南京で沈先生からいただいた『肘後備急方』には,針は,「治卒狂言鬼語方」として,「針其足大拇指爪甲入少許,即止」だけです。
多紀元簡の『広要備急方』には,「百会に灸すべし壮数に拘はらず甦て止べし」とあるけれど,機内で灸はすえかねる。