2013年12月29日 星期日

簡牘帛書と戯れる

最近になって気付いたのだが,私の撮った写真には斜めになっているのが多い。つまり水平線であるべきが右肩上がりになっている。写真というものがそうなりがちなものなのか,私の構えかたの欠陥なのか。多分,後者だろう。

しかし,書き文字の場合,右肩上がりが普通だろう。右利きのほうが多いからだ。しかし,簡牘帛書の文字となるとそうとも限らない。ひどく右下がりに書かれたものも有る。

最近,出土文物の字集を取り揃えている。
書法に趣味が有るわけでもないのに,そんなことをするのは,つまり簡牘帛書においてはどの字とどの字が紛れそうなのかを見たいからである。例えば,各と君が紛れることは有りそうである。君の尹がひどく右下がりに書かれることが有る。

陰陽十一脈の所産病に,(馬王堆の)甲、乙本では疒に怨になっているところ,(張家山の)乙本では䏿になっている,らしい。本当は𦙵(夗の下に月)で,つまり疒に怨と同様に,脘と音通するんじゃないか。はてさて簡牘帛書において,𢼄(戸に攵)と夗は,間違えそうなほどに似ているのか。

2013年12月28日 星期六

皆通乎天氣

四川在线《扁鹊学派失传医书成都出土 价值超马王堆医书》のうちに,〈部分简文解读〉として,わずかながら《敝昔医论》の釈文が紹介されている。
敝昔曰:人有九徼五臧十二节,皆鼂於气。
敝昔曰:所胃五色者,脉之主。
敝昔は扁鵲。九徼は九竅。五臧は五藏。鼂は判らないが,『素問』生氣通天論に「其氣九州九竅、五藏、十二節,皆通乎天氣。」とあるから,通に通じるのだろう。所胃は所謂。

自ら悼む

他人の死に逢って衝撃を受けるのは,そこに己の死をみるからだ,といった人がある。
大往生だねとか,まだやりかけの為事があったろうに,とか。
まあ,そうした感慨を持つものには,概ね,まだやりかけの為事がある。
だから,概ね,溜め息をつく。

追悼号が出て,追悼大会が開かれる。
追悼大会には参加の予定だが,追悼号に追悼文は書かなかった。
こうしたところへ,いい加減いくつも書いた気分だったからだ。

誰かに逝かれて,その後に突飛な行動をとったとしたら,それはまあ無関係ではない。
中国旅行は,親父の一周忌がすんだら一度とは思っていた。
しかし,それが開封になったのは,多分,他にわけがある。

彼は,そこそこ功なり名をとげたんじゃないか。
私はまだ,何もしていない。

2013年12月25日 星期三

固無害於全璧也

『内経』を理解するには,『呂氏春秋』『淮南子』の類を読むべきだ。
あるいは,然らん。
道流の口吻には,すべからく慣れておくべき,かも知れぬ。


MEMENTO MORI

そして,NEVER MORE,またとなけめ,死は全てを終わるものである,何も無い。
百歩さがって千歩さがって万歩さがって,何かが有れば,それは別の生であって,本物の死ではない。

あちらには無いということすらも無い。
陰陽とか虚実とか,有無とか生死とかは,こちらがわにおいて相対し,完結する。
あちらとかこちらとかも,こちらがわだけに存る。

遺されたものにとっては,逝ったものは,逝った先に存る。
逝ったものにとっては,……何も無い。

過去は記憶に過ぎず,未来は予測でしかない。
あるのは現在のみ,そして現在は永遠である。

CARPE DIEM

2013年12月24日 星期二

合谷

手の原穴のうち、なんで合谷だけ手首に無いのか?
答は簡単、大指岐骨の間のほうが効くから。

だから、この問いかけは、
どうして、手の陽明経脈でもっとも効く穴は、手首ではなくて、大指岐骨の間に在るのか?
と翻訳しなければならない。

で、答は知らない。今までに提出された説明は、おしなべて嘘かも知れない。

2013年12月21日 星期六

なまけものの養生法

『靈樞』經脈篇:灸①則強食生②肉、緩帶被髮、大杖重履而步③。
 ①灸:陰陽十一脈灸經作“久”。
 ②生:陰陽十一脈灸經作“産”。
 ③重履而步:此後陰陽十一脈灸經有“久幾息則病已矣”七字。
病が久しければ瘦せ衰えているだろうから、食事を強いてでも肉づきを回復させ、この際、礼儀作法なんぞかまうことはないから、ゆったりした服装でざんばら髮で、步行もふらつくだろうから、しっかりした大きめの杖を持たせ、足が冷えるだろうから履き物を二重にさせる。こんな具合にして、充分に休息させれば、病もそのうち癒えるだろう。

あるいはまた『素問』四氣調神大論:冬三月,此謂閉藏,……早卧晩起,必待日光。
王冰注云:避於也。

2013年12月15日 星期日

黄帝内経素問講義

喜多村直寛の『黄帝内経素問講義』の底本って、顧従徳本じゃないようなんですが、誰か何か言ってましたかね?


2013年12月12日 星期四

馬の成語(1)

来年の干支にかかわる故事
 驥一日而千里,駑馬十駕,則亦及之矣。(荀子・勸學篇)
 騏驥之跼躅、不如駑馬之安步。(史記・淮陰侯列傳)