2016年2月19日 星期五

臨床的に……

古典を読むということには,少なくとも三つの段階が有る。
先ず字句の誤りを正し,詞義の辨別をしなければならない。
次いで原著者は,何を経験し,何を伝えようとしているのかを,読み解く必要が有る。
その上で,原著者は自分の経験をこう表現しているが,現代人の目からすれば本当はこうじゃないかと,言い換える必要が有るかも知れない。
本当にそうなのか,実証を試みるのは,さらにその後である。
例えば「虚すればその母を補う」,話を単純化するために,五蔵の虚証と判じて,その名を冠した経をとり,さらに五行の相生関係に拠って母の経も取る,とする。五行説の信奉者はそれでいいだろうが,現代の科学者はこの説明で満足できるのか。
取る経の組み合わせは:
心虚:手少陰(火)と足厥陰(土)
肺虚:手太陰(金)と足太陰(土)
脾虚:足太陰(土)と手少陰(火)
肝虚:足厥陰(木)と足少陰(水)
腎虚:足少陰(水)と手太陰(金)
心虚は治療の対象にならないことになっているけれど,まあ理屈の話ですから。
で,肝虚以外は手足の組み合わせになっている。すると肝虚も,例えば手足の同名経を取ってみたらどうか。つまり手足の厥陰を取る。それってつまり,現今の心虚は無いよ,心包虚なら有るよ,の組み合わせだよね。そこで,肝虚は,心包虚として治療したほうが効くのと違うか。
な~んてところまで踏み込まないと,古典から臨床へという,「科学的な」研究にはならないのと違うか。
手足の同名経の組み合わせと,いっそ前後(太陰―少陰)の組み合わせ。手少陰と足少陰という組み合わせも有りうるんじゃないか。あるいは手少陰と足厥陰という組み合わせがダメなんじゃないか。
   手太陰← →足太陰
      ↖ ↗
   手厥陰← →足厥陰
      ↙ ↘
   手少陰← →足少陰