2013年1月18日 星期五

闕筆

諱を避けるのは,敬意の為だから,それはまあ通常より以上に避けることは有るだろう。宋代には皇太后の父親の名を避けたことが有るらしい。米山寅太郎著『図説中国印刷史』(汲古書院 2005年)の42ページに:
乾興元年(一〇二二)二月,真宗が崩じ,遺詔によって第四代仁宗が即位,真宗の皇后劉氏が皇太后として政に臨んだ。その皇太后垂廉の天聖・明道年間(一〇二三―三三)に,唐の玄宗が自ら注を施した『御注孝経』が刊刻された。……この書を北宋の原刊本とするのは,いわゆる宋諱の闕筆によるのである。……通は,皇太后の父の諱である。闕筆は后妃などの父までは及ばないのが普通であるが,この場合は,乾興元年十月に真宗を葬った後,国の内外に詔して,特に皇太后の父の諱の「通」を避けしめたことに拠るものである。而して明道二年(一〇三三)三月,皇太后の崩ずるとともにその制を止めたから,刊刻の時期はこの明道二年以後ではないことになる訳である。

2013年1月16日 星期三

䆘穵

『説文・穴部』/『玉篇・穴部』:䆘,入衇刺穴謂之䆘。
『廣韻・狎韻』:䆘,人神脉刺穴。
『札樸』卷九:鍼刺曰䆘。

『説文・穴部』:穵,空大也。
『説文繫傳・穴部』/『玉篇・穴部』:穵,空也。
『説文・穴部』段玉裁注:今俗謂盗賊穴牆曰穵。