2015年4月3日 星期五

扁鵲仰天歎曰

夫子之爲方也,若以管窺天,以郄視文。越人之爲方也,不待切脉、望色、聽聲、寫形,言病之所在,聞病之陽論得其陰,聞病之陰論得其陽,病應見於大表,不出千里,決者至衆,不可曲止也。子以吾言爲不誠,試入診太子,嘗聞其耳鳴而鼻張,循其兩股以至於陰,當尚温也。
扁鵲はまだ病人に会っていないのであるから,「大表」を体表と解釈するのは誤っている,という異見が出た。

必ずしも然らず。
「病應見於大表,不出千里」を,病めばその反応は表に出るのであって,別に千里の外に求めることはない,言い換えれば天にお伺いを立てるべきものではない,と解することが出来れば,それが体表に現れると言ってもそれほどとがめることはない。扁鵲は病人に会っていなくても,予測として言えるのだと,誇っているのだと思う。
あんたの方術は管をもって天を窺い,隙間からその様子を視ようとするようなものだ。わたしの方術となると,切脈、望色、聴声、写形なんぞにたよらず とも,病の所在をいうことができる。病の陽を聞けば陰は察しがつくし,病の陰を聞けば陽は察しがつく。病の反応は大表(≒体表)に現れてそこにあるのであって,別に千里の外に求めずとも,判断材料はきわめて多いし,限界も無い。信じられないというのなら, 太子の様子をもう一度診なおしてみろ,耳が鳴り鼻が張っているはずで,太股の内を撫であげればまだ暖かいはずだ。
診るべきものは,深奥に秘められているわけでも,天の彼方に掲げられているわけでもない。

2015年4月2日 星期四