2017年5月16日 星期二

三度目

吉川幸次郎『詩文選』に「私の信条」という文章が載っている。
 またそのころ、狩野直喜先生が私に与えられた啓示は、大きかった。京都大学の一回生として中国語を学びかけたばかりのころ、私は先生に向かって、中国語の辞書の不備をうったえた。先生は、そのうったえに対しては、ただ、そうだろうね、と簡単に答えられるだけで、別の話をされた。先生が第一高等学校の生徒であったころ、ある外国人の教師――先生はその名をいわれたが、私は忘れた――がいった、はじめての英語の単語にでくわしても、すぐ字引をひくんじゃない。前後の関係からこういう意味だろうと、自分で考えて見る。そのうち別のところで、その単語がまた出て来たら、前に考えた意味を代入して見る。まだ字引は引かない。三度目に出て来たとき,そこにもうまくアプライすれば、もう大丈夫だ。そこでオックスフォードを引くんだと教えてくれた。僕もそうして勉強したよ。
 そういって,先生は辞書の頁をくるまねをされた。

2017年5月15日 星期一

初めよりこれを疑はず

講談社文芸文庫の吉川幸次郎『詩文選』に、小野勝年氏「歴代名画記」(岩波文庫)に対する批判が載っている。
例えば巻五康昕の条に、
 書類子敬、亦比羊欣、曾潜易子敬、題方山亭壁,子敬初不疑之、
とあるのを、訳者は、
 書は子敬に類し、亦羊欣に比ぶ。曾て潜かに子敬に易りて、方山亭の壁に題す,子敬初はこれを[自筆と考へて]疑はず。
 と訳していられるが、「初不疑之」は「全く疑わなかった」の意であって、「初はこれを疑はず」の意ではない。「初不」は絶対の否定であって、行為の初期のみを否定する語法ではないのである。訳者がこの誤を犯されたのは、「はじめ」なる訓読の国語に膠着された為と考えられる。(初出は、一九三八昭和十三年九月「東方学報京都」第九冊)
『漢辞海』に、
いままでずっと。はじ-めより。〈「初無」「初不」と否定を表す語とともに用いる〉

2017年5月2日 星期二

葛洪の字が稚川であるわけ

中国人には諱の他に字が有って,両者の間には何かしら関係が有るらしい。例えば,姓は曹,諱は操,字を孟徳という。操は,ミサヲ,同義や主義を守って変えない態度。徳は,社会において正しいものと評価される行動規範,人格的な品位。
では諱が洪である人の,字が稚川なのは何故か。中国には洪水(コウスイ)という川が,東郡(秦代から隋代にかけて,現在の河南省濮陽市および山東省聊城市にまたがる地域に設置された)に在ったらしい。また漢の豫章郡だったところに,隋は洪州を置いた。で,多分そのあたりの出身の,洪氏というのも有る。『広韻』に「共工氏之後,本姓共氏」とある。洪さんは,キョウさんと呼ぶ方が本来なのかも知れない。
そこで,もし東郡だか豫章郡だかに,稚川という川が有って,洪水(コウスイ)と関係するとしたら,諱を洪とつけた人が,字は稚川としたのはうなづけるし,洪という諱はキョウと読ませた可能性も無くは無い。共工は水神ではあるけれど,洪水をおこす凶神である。とはいえ南方の人にとっては,祖先に関わる尊敬の対象でもある。葛洪なんてひにくれものなら,ちなんで諱にしそうではないか。