またそのころ、狩野直喜先生が私に与えられた啓示は、大きかった。京都大学の一回生として中国語を学びかけたばかりのころ、私は先生に向かって、中国語の辞書の不備をうったえた。先生は、そのうったえに対しては、ただ、そうだろうね、と簡単に答えられるだけで、別の話をされた。先生が第一高等学校の生徒であったころ、ある外国人の教師――先生はその名をいわれたが、私は忘れた――がいった、はじめての英語の単語にでくわしても、すぐ字引をひくんじゃない。前後の関係からこういう意味だろうと、自分で考えて見る。そのうち別のところで、その単語がまた出て来たら、前に考えた意味を代入して見る。まだ字引は引かない。三度目に出て来たとき,そこにもうまくアプライすれば、もう大丈夫だ。そこでオックスフォードを引くんだと教えてくれた。僕もそうして勉強したよ。
そういって,先生は辞書の頁をくるまねをされた。
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