2017年6月4日 星期日

何時の頃からか、麻痺でなく麻痹と書く人が増えた。理由も薄々は分かっていた。別に卑しい病というのが拙い、というわけじゃ無さそう。
ところがである、ごく最近、変なことに気づいた。
『山海經』南山経に、「南山二経之首,曰柜山,……有鳥焉,其状如鴟而人手,其音如,其名曰鴸,其名自号也,見則其県多放士」とあり、郭璞は痺に注して「未詳」と云う。『爾雅』釈鳥に「鷯鶉,その雄は鵲,牝は痺」とあるのを、郭璞は見てないのだろうか。その鳴き声は雌のウズラのようだ、で良さそうに思うが。
因みに、痹は『説文解字』に、「溼病なり。从疒に従い畀の声」とある。溼は、『漢辞海』には湿の異体字として載っている。
郭璞にとっては、痹でも痺でもシビれのことだったんだろうか。

沒有留言:

張貼留言