2012年12月30日 星期日

凌氏針書

『中国針灸史図鑑』を読んでいて,意外な感じです。
「惜しいことにその針書に未だかつて刊行され世に伝えられたものは無い。」
それはまあ,当時の出版事情ならさも有らん,でしょうが,実は上海の凌氏といえば,明代の套印――多色刷りで有名な人たちなんです。凌雲という名も,崇禎年刊に活躍したとして,米山寅太郎先生の『図説中国印刷史』にも登場します。『文心彫竜』の五色刷なんてものを手がけたそうです。勿論,同名異人なんてことは無いでしょう。米山氏も『明史』の「方伎伝」に伝があるとして,「道人から鍼術を授かり,多くの難病を治癒させたという」と紹介しています。
どうして,自分たちで,針書を出版しなかったんでしょう。やっぱり,自分の本を出すのは気恥ずかしかったのでしょうか,それとも道人に禁じられたのでしょうか。あるいはそもそも,方伎は書を以て伝えられるものではない,と悟っていたのでしょうか。

2012年12月21日 星期五

なんだかなあ

今,日本内経医学会の有志で,黄龍祥さんの『中国針灸史図鑑』の翻訳にとりかかっているんだけど,『霊枢』の書影としては我らが明刊影宋本『霊枢』が掲げられている。ところが,「日本内経学会蔵」なんです。医が無い。しかも文字のほうは:
伝世本『霊枢』は乃ち南宋の史崧蔵本であり,今国内にはなお元、明の刻本が有り,天一閣に明の影宋残巻が蔵されており,日本の国立公文書館内閣文庫には明代の影宋本を蔵していて,日本のオリエント出版社が1992年にこの本の影印を出版している(『東洋医学善本叢書』第26冊に見える)。
なんだかなあ。

2012年12月11日 星期二

毫針の寸法

范登脈校注『新刊黄帝内経霊枢』(科学技術文献出版社2010年発行)に,九針十二原篇の毫針の長さ「三寸六分」の「三」について:
劉校:「『九針論』、『甲乙』巻五第二及び『医心方』巻二第五は均しく一に作る,応に拠りて改むべし。」『太素』は「一」に作る。
とある。誤解である。
九針論は確かに「一寸六分」に作る。そして,『甲乙』も『医心方』も,それを採ったのである。劉校とは、人民衛生出版社が1964年に『霊枢経』を発行した際に,劉衡如が行った校正。大家である。どうしたことか。
『太素』に至っては、その編纂は鋏と糊であるから,双方を採っていて,九針十二原篇に相応する部分には,寸法に関する文字は無い。

毫針の寸法が,三寸六分であるべきか,一寸六分であるべきか,とはまた別のはなし。