2013年7月26日 星期五

若在若無

『太素』巻19官能の「若若無,若亡若存」について,新新校正に「有」を,原鈔が「在」に誤ったのは,日本語の訓「ある」に引きずられたもので,和臭 とか,『霊枢』は「有」に作る とか言ったのは拙かった。明刊未詳本『霊枢』は「若若無」でした。『霊枢講義』が,「若若無」なのは,渋江抽斎が改めたからです。根拠ははっきり言ってない。で,他の版本も気になって趙府居敬堂本,といってもむかし人民衛生出版社が出していた,例の版心を削ったやつですが,やっぱり「若若無」でした。あれまあということで,郭靄春編『黄帝内経霊枢校注語訳』を見たら,「若若無」です。あら,底本は趙府本だったんじゃないかと確かめたら,人民衛生出版社一九六三年排印本でした。河北医学院校釈(主編は郭靄春)の『霊枢経校釈』の底本は趙府本で,「若若無」で,原は「在」に作るが,日刻本、馬注本、張注本、黄校本に拠って改める と言う。これが一番まともみたいだけれど,「若若無」では本当に駄目なのかね。

2013年7月22日 星期一

大勝利?

巫山戯んな!
せいぜい五人か六人かに独りが、取りあえずマアイイカ、選択肢が無いからショウガナイカとつぶやいた程度でしょ。
行ったってどうしょうもないから、行かなかったというのが、半分もいるんだから。

2013年7月19日 星期五

ものは問いよう

米調査機関ピュー・リサーチ・センターが18日発表した米国と中国に対する好感度調査で、……日本では米国が好きと答えた人が69%だったが、中国が好きとの回答は5%にとどまり……。
そりゃそうだろう。わたしのような中国文化大好き人間でさえも,(嵩にかかって言いたてる)中国政府が好きか,(付和雷同する,あるいは洗脳された)中国民衆が好きかと問われたら,ノー,かも知れない。
むかしむかし,中国を列車一人旅をしていたとき,日本軍の残虐行為をどう思う,と詰問してきた若い女性がいた。知らんがな,そんなこと。残虐行為が有ったらしいことは知っているし,申し訳ないとは思うけど,生まれる前のことを,初対面の人に問い詰められたって,知らんがな,そんなこと,答えようがない。で,そのとき同道していた,上司らしい,今の私よりはやや若い男性は,まあまあ,この人に問い詰めることじゃない,と言ってくれた。この男性上司を好きかと問われれば,少なくとも尊敬するとは応える。でも,その若い秘書らしい女性を好きかと問われたら,勘弁してよ,と応える。で,よく考えて見たら,直接対話したことのある中国の人で,その若い秘書らしい人のようなのは,その女性ただひとりだったかも知れない。他には記憶が無い。
日本と中国のどちらで,より多くの好きな人に逢ったか,と問われたら,まあ,比率でいったら,圧倒的に中国でしょうね。だから,中国の人が好きかと問われたら,好きです。

それにしても,そんなにたくさんの米国好きがいるのかねえ。やっぱり,洗脳されている!のかねえ。

2013年7月16日 星期二

鬼曰

上帝好生,不欲人自戕其命。如忠臣盡節,烈婦完貞,是雖橫夭,與正命無異,不必待替﹔其情迫勢窮,更無求生之路者,憫其事非得已,亦付轉輪,仍核計生平,依善惡受報,亦不必待替﹔倘有一線可生,或小忿不忍,或借以累人,逞其戾氣,率爾投繯,則大拂天地生物之心,故必使待替以示罰。所以幽囚沉滯,動至百年也。

2013年7月6日 星期六

『霊枢講義』の見直し

霊蘭之室に置いてある電子文献,もともと偶然に見つかった誤字を訂正するくらいでしたが,ここのところはそれすら怠ってきました。
最近,思い立って『霊枢講義』の全面的な見直しを試みたところ,いや,有るは有るは,続々と誤入力が見つかります。冷や汗をかきかき訂正してます。ただ,今の進捗状況からすると,修正済みに置き換えるには,まだかなりの時間を要しそうです。
ご利用の各位,ご用心あれ。……他の資料もね。

2013年7月4日 星期四

田舎者には

ようわからんのだが、多数決って、そんなに正義なの。
だって、例えば沖縄の人が、普天間飛行場をどっかへ持っていってくれと訴える。それはまあ、同情する人は全国にいるでしょう。でも、あんたんちの隣に、といわれたらどうだか。
つまり、沖縄で、普天間飛行場を県外に移転させたいか、と問えば、圧倒的多数で可決じゃないの。でも全国で、それをやったら、あんたんちの隣へといったら、圧倒的多数で否決じゃないの。そのとき、多数決って、そんなに正義なの。
極端なはなし、中央・都市に人口が集中する。地方・田舎はますます過疎化する。一票の格差を是正して、ますます都市部の票が増える。もうこうなったら、地方への助成なんてやめちゃおうよ、地方公共機関なんて廃止しちゃおうよなんて、まさかとは思うけど、可能性としては有り得るよね。
だからあ、まさか、なんだけど、ね。

2013年7月2日 星期二

季節の脈状と,五蔵の脈状と,五蔵の経脈

弦鉤毛石って何なんでしょうね。季節の脈なんでしょうか,蔵の脈なんでしょうか。
『素問』病能論に,冬に診たのだったら,右の脈が沈んでいるのは当然だ,季節に応じているのだ,でも左の脈が浮いているのはおかしい,病のせいでそうなっているんだろう,と答えるところが有る。まあ,季節に相応しい脈状というものは有るんだけど,それと違った脈状は気候の不順による場合も有るけれど,五蔵の不調によることも有る,ということですかね。季節の脈なのか,蔵の脈なのか,なんとか折り合いはついている。でも,脈状と気候との結びつきのほうが,たぶん,より昔からだろう。
『霊枢』邪気蔵府病形篇には,例えば心脈が急甚であれば云々とある。心脈って何ですか。楊上善は心脈句(=鉤)というけれど,鉤で絃急はまあいいとして,鉤で縦緩なんてことが有り得るんですか。いや,これもまだしもで,肝脈弦で縦緩が甚だしいなんてことが有り得るんですか。五蔵の脈状じゃなくて,五蔵の経脈じゃないかと思うんだけど,賛成してくれてそうな人が見つからない。現代中国の『霊枢』の参考書も,心脈がとか肺脈がとか,そのままで何も説明してくれてない。