2019年6月30日 星期日

廃刀令

何かあったら,俺が守ってやるから,と約束して腰の刀を取り上げたんじゃ無かったのか。そういう約束じゃなかったのか。それを今さら,俺もしんどいから,おまえ,自分で用意して抱えていろと言われたって……。別にいいんだよ,こっちの兄貴に冷たくされるのなら,お隣りさんと仲良くしたって。

2019年6月6日 星期四

稚膽八郎

シーボルトの変名だそうである。
だったら,チイボルトとでもよませるつもりだろう,
といったら,ワカイと振り仮名があるんだそうな。
そこまで用心するか?と思った。
しかし,ワカイ・タンパチロウはなかろう。
稚膽でワカイ。
膽吹とか膽澤とかは,ご存じないにしても,
「熊の膽」は知っててほしかった。
ボルトがどうして八郎(ハチロウ)なのかはわからない。
ちと,お手軽に過ぎる,と思う。

2019年3月29日 星期五

はしか

HUFFPOSTというところに,

子どものとき予防接種せず、大人になって「はしか」になった男性。今みんなに伝えたいこと

という記事があります。


薪は尽きる 火は伝わる(として それで?)

老耼死。秦失弔之、三號而出。
弟子曰、非夫子之友邪。
曰、然。
然則弔焉若此、可乎。
曰、然。始也吾以爲其人也,而今非也。向吾入而弔焉、有老者哭之如哭其子、少者哭之如哭其母。彼其所以會之、必有不蘄言而言、不蘄哭而哭者。是遁天倍情、忘其所受。古者謂之遁天之刑。適來、夫子時也。適去、夫子順也。安時而處順、哀樂不能入也、古者謂是帝之縣解。指窮於爲薪、火傳也、不知其盡也。(『莊子』養生主)

で,
薪が燃え尽きようとしているとき,新しい薪をそえてやれば,火は燃え移る。もとの薪はたしかに燃え尽きるが,火は新しい薪に受け継がれる。
もしくは,
薪が燃え尽きようとしているとき,新しい薪をそえてやれば,火は燃え移る。たしかに火は新しい薪に受け継がれていくが,もとの薪自体は燃え尽きたのであって,何かが受け継がれるのなんのというのは,生死を一つと,真に悟ったものにとっては,どうでもいいことのはず。
あるいは,
「……譬えてみれば、薪であった時には、ここまで燃えたらそれでお終いと分かっていたのだけれど、いざ実際に火が伝わってくると、燃え尽きて一切がお終いだと得心できるほど、安らかにはなれなかったのだ。」

2019年3月10日 星期日

『霊枢』腸胃の文章を,『太素』によってみれば:

小腸後傅脊           左環  葉積
    其注於迴腸者 外傅於齊上         迴運環反十六曲……
       迴腸    當齊 左環迴周葉積而下 迴運環反十六曲……
廣腸 傅脊以受迴腸       左環  葉積上下辟……

だから,どうというわけじゃないけれど,こう同じ字句が繰り返されるとね,何か妖しい。
楊上善は,廻腸は大腸,廣腸は肛という(『太素』卷之九・經脈正別)。

2019年1月15日 星期二

明黒格抄本甲乙経

醫道傳承叢書『黃帝三部針灸甲乙經』(學苑出版社2012年3月第1版)「重校説明」末段
……在本書結稿之後,北京一位未透露姓名的文獻專家提示我:上海生命信息中心藏有一部《甲乙經》舊鈔本,此書不可不看。我對此非常重視,立刻請上海中醫藥大學荊麗娟老師幫助對這個鈔本作了初步調査。調査後有三點發現:第一、在該鈔本中,凡是黃帝与與諸臣問答之語,在同篇再次出現時,皆冠「問曰」、「對曰」、「答曰」等語,這與皇甫謐《序例》完全吻合,與醫學六經本皆作一「曰」字明顯不同;與明藍格鈔本幾乎通篇皆作「黃帝問曰」、「岐伯對曰」亦不相同。第二、在該鈔本的皇甫謐釋文中,凡引用《難經》皆稱「八十一難」,這與明藍格鈔本一致,與醫學六經本不同;第三、經抽査並互校《甲乙經・卷五・針灸禁忌第一(上)》的部分内容,發現上海鈔本與明藍格鈔本在内容、版式、文序上幾乎完全相同,兩種鈔本皆證明醫學六經本的校訂者對《甲乙經》皇甫謐釋文作了重大刪改和移動文。
  由於陸心源之子陸樹藩將家藏全部珍本古籍(包括明藍格鈔本《甲乙經》)轉買到國外,上海《甲乙經》古鈔本的發現可補國内《甲乙經》善本之不足,令人感到振奮。上述調査表明:上海鈔本與明藍格鈔本極可能出自同一版本系統,甚至可能早於後者,若果真如此,則對深入了解明以前《甲乙經》傳本的舊貌具有重要意義。期待早日見到有關專家對此書的最終鑒定,更期待此書的影印本早日問世。……
 これの線装影印本が,出版されてました。ただし,いくつか腑に落ちないことが有ります。
 先ずもって,「凡是黃帝与與諸臣問答之語,在同篇再次出現時,皆冠「問曰」、「對曰」、「答曰」等語,這與皇甫謐《序例》完全吻合」なんてことはありません。藍格抄本と同様に,大部分が「黃帝問曰」、「岐伯對曰」、「黃帝問曰」、「岐伯對曰」の繰り返しです。確かに「黃帝問曰」、「岐伯對曰」、「問曰」、「對曰」もあるにはあるから,重校者が入手した資料がたまたまそうした部分だったので,誤解を生じたのでしょう。もう一つの別の明抄本が存在するとは考えられない。なお,新出の抄本には,「黃帝問曰」、「岐伯對曰」、「曰」、「曰」もあります。

 藍格抄本と黒格抄本(影印本の説明でこう称している)の違いをいくつか列挙してみます。
①黒格抄本のほうが藍格抄本よりマシな箇所はある。
○巻01-01の経文に『霊枢』本神を用いた後に,『素問』挙痛論を引いた上で,藍格抄本が「小同大同」などというのは詞をなさない。黒格抄本は医統本と同じく「小異大同」とする。
○藍格抄本は,皇甫謐の序の中で「少偸」(年わかな盗人!?)と書く。黒格抄本にはさすがにこんな誤りはない。
○藍格抄本で,巻01-01の「肝蔵血,血舎魂」云々が「〔心〕蔵脈,脈舎神」云々(藍格抄本は「心」字を脱)の前に在るのはおかしい。肝についての経文「肝蔵血,血舎魂」云々があって,その後に『素問』の「人臥血帰於肝」云々があるべきである。
○藍格抄本で大字になっている注文であるはずの句が,黒格抄本ではちゃんど小字になっていることは多い。
②藍格抄本と黒格抄本の双方に酷い誤り,ということはある。
○巻09-03に双方とも,「其寒飲食入胃,順脉【一作脉】〕脉上至於肺則肺寒」とある。医統本は「其寒飲食入胃,従肺脉上至於肺(気)則肺寒」(「気」字はおそらくは衍)に作る。明抄本の細字注は【一作肺】であるべきだろう。
③藍格抄本のほうが黒格抄本より善い箇所もある。
○巻01-01の「徳流気薄而生也」,藍格抄本は「徳流気薄而生者也」,同じく「可以任物,謂之心」,藍格抄本は「所以任物,謂之心」に作る。最近の中国で発行された校注本の多くが藍格抄本を採っている。
④藍格抄本だけにあるもの。
○『甲乙経』経文の,『素問』、『霊枢』における所在は,藍格抄本のはじめのほうだけにある。
○巻01-01の冒頭附近「至其淫泆離蔵……人之過乎」の35字は藍格抄本だけにある。まとまった一段だから単純な書き落としではない。
⑤黒格抄本だけにあるもの。
○藍格抄本には各巻の目録を欠くことが多いが,黒格抄本にはほぼ揃っている。

 藍格抄本と黒格抄本は,同じ抄本から写された可能性が高いが,そうなると明抄本に対する認識にも改めるべき点は様々にある。
○衍誤脱倒の責任は,藍格抄本の筆者にはない。おそらくはもっとうんと古い。
○巻01-15「下行如雪」の下に細字注「印本作雲」があるのは,古くからのことである。筆者は自分の書いているものを「抄本」と認識している。つまり,細字注のうちのいくらかは国家事業として刊行を目指した際のものではない。「音 」などという無意味な細字注(音を表示するはずの漢字が空白)も,おそらくは同様であろう。
○明代には(真柳氏云うところの)大字本系の抄本もさして珍しくなかったかも知れない。とすると,さらにマシな明抄本が発見される望みは有ろうと思う。

 影印本出版社の説明
  鈐印:卷首卷尾及各卷多處鈐「毛氏子晉」、「毛晉之印」「汲古主人」朱方。但朱方較毛氏方略大,印記不甚淸晰生動,疑似僞印
  然該書取黑格綿紙精抄,書寫端正,字迹隽秀,墨色勻凈,欄綫淸晰。經版本目錄學家陳先行、古籍編目學家呉格鑒定,此當爲明抄本