2018年5月29日 星期二

マサル

ある全国紙の同じ面の上部に,文さんと金さんが抱擁している写真がのっていて,そのやや下方にザギトワがMASARUを抱いている写真がのっていた。だから……,だからどうということも無いがね。

2018年5月27日 星期日

假廉

万暦本『金瓶梅詞話』第十七回で,弾劾された蔡京の子分に賈廉というのがいて,第十八回では王廉になっている。そこで最近出た翻訳では王廉は賈廉に改められている。で,本筋の巻き添えになりそうな西門慶が巻き添えを逃れる話は,賄賂を使って,弾劾書の名を賈慶と書き換えてもらったことになっている。書き換えたとは言うけれど,公文書ですからね,筆を加えて違う字に見せた,というようなことのはずでしょう。多分,西门を賈と誤魔化した。まあ,校正ということの理屈にもあっているように思う。でもね,岩波文庫の訳では,第十七回の弾劾された子分の中には賈廉の名は無く,したがって第十八回の王廉はそのまま,そして西門慶は賈廉と書き換えられた。慶を廉にというのも,筆書きならまあ何とかなりそう。この間,岩波文庫には,底本は本当はどうで,こうこういう理由で削ったとか改めたという注記は無い。乱暴な話だね。でもね,話の段取りとしては,賈は假に通じて,「いつわりの廉潔」のほうが「いつわりの吉慶」より,余程皮肉がきいていると思う。あるいはまた主人公の姓を,なんでわざわざ西門豹などという硬骨漢から取ったのか,の秘密もここにあるのかも知れない。そういえば,『紅樓夢』の主人公も,賈姓でしたね。賈という姓は,中国でさほど珍しくもないと思うけれど,どうしても「いつわりの」ととられてしまうのかもね。諱を避ける,なんて理不尽な習慣も,漢語というものの性質上,用心するにこしたことはない,なのかも知れない。

2018年5月23日 星期三

腸肺?

『太素』15五蔵脈診
肺脈……小甚爲洩,……微小爲消癉。
楊上善注:肺之氣血微小也。虛寒肺,反爲熱病,消肌肉也。
謹案:腸は傷の誤りではないか。

2018年5月22日 星期二

うつうつとして

鬱病患者と鬱傾向の人というのがいるのだろう,と。
私自身は鬱傾向であって,鬱病ではないとは思っている。

でも,インターネット上でチェックしたら,中程度警告。
しっかり「すぐに精神科に相談」を勧められた。
そんなにヤバイところにチェックをいれたつもりはない。
どうしてそうした警告になったかも,理解できてない。

普段は,もう少しヤバく落ち込んでいる。
でも,わたしはお医者さんにはかかれない。
薬は信用してない。私には救いにはならない,と思う。
鬱病患者にもなれない,そういう種類の鬱傾向です。

多分,自殺願望は無い。
それが救いになるとも思ってない。今のところ。

多分,他の人からみても,あんたなんて鬱病じゃない!
ということだと思う。

2018年5月15日 星期二

專か尃か

『太素』巻2 調食に:
其大氣之■而不行者,積於胷中,命曰氣海,出於肺,循喉嚨,故呼則出,吸則入。
とある。■は木偏に専。先ず木偏は俗字で手偏と紛れるのは普通のことだから気にしない。で,ここは手偏のほうが相応しいと考える。そもそも,外の箇所では手偏も木偏も才に近い形になることが多い。
問題は声符の方で,普通には専は專の常用漢字体ということになろうが,実際には尃の右肩の一点などは,俗字では書き落とされることも多いので,手偏に専の形は,ハクうつ・とる なのか,あるいはタンあつまる なのか,にわかには決定しがたい。
どの字に解すべきかとなると,先ず他の書物ではどうなっているかをみる,ということを思いつく。『太素』の調食のこの部分は『霊枢』五味にある。ところが問題の字は,我らが明刊無名氏本では搏だが,明趙府居敬堂本では摶である。
次に考えるべきは,注では何をいっているか。幸いなことに,楊上善は「謗各反,聚也」と音も義も注記しておいてくれた。謗はハウ(歴史的仮名遣い)で各はカクだから謗各反はハク。ところが「聚」という義は,代表的な古字書などには搏にも摶にも見つからない。ただ偉い先生がたの考証をみると,摶は團に通じ,團に聚の義はあるわけだから,ここは摶と判断すべきだとなる。楊上善は釈音を間違えたことになるが,まあ他でも度々間違えているわけだから……。それに原鈔の問題の字の右下にアツと書かれているらしい。これはおそらくはフリガナだろうからアツまる,聚まると,鈔者も読むつもり,読ませるつもりだったのだろう。

ここはひとまず解決がついたとして,他にも声符専に書かれた字をどう決定すべきかが不安である。『太素』と『素問』『霊枢』を対比してみると,薄あるいは揣になっていることが多い。薄ならハクで搏という関係はまあいいらしい。義は迫とか拍とかにつらなっていく。
しかし揣はどうなのか。対応関係は摶とであろうが,音はスイあるいはシである。でいろいろ調べてみると,『漢語大字典』クラスの字書になると,別にタンに近い音も載っている。(小型の辞典のなかでは『新字源』に載る。)しかも古くは團と通じて用いられたらしい。つまり揣には同形異字の,摶と異体字関係にあるものが有るらしい。傍証としては『説文』に「𨄔(足專):脚腸(ふくらはぎ)也,或作腨」と載る。形符の足と肉は同類,声符の専と耑は同音もしくは近音,で互いに取り替えて用いるというのは異体字発生の常道であった。

一応:
別本で揣 or 形右上に点なし or 音タン or 義あつまる  なら 摶?!
別本で薄 or 形右上に点あり or 音ハク or 義うつ とる なら 搏?!
という関係は成立するらしいが,ことが俗の情勢にあることだから,形・音・義のどこにでもウッカリミスは発生する。結局のところは深く読み込んで判断するしか無い。たとえば長鍼の身は『霊枢』によって薄(うすい?)とすべきか,『太素』によって團(まるい?)とすべきか。真腎の脈は『太素』によって揣でタンで聚とみるべきか。いや楊上善は音は初委反(シ)というし。『素問』『甲乙経』によって薄を取って,したがって迫ってくるような脈と考えようか。楊上善が義は動也というのも,薄→迫・拍のほうが相応しいかも知れない。楊上善の釈音はここでも間違っている。いや,そもそも搏を摶と見間違って,しかも揣と書き間違えたか。なやましい。

というようなわけで,『太素』の新新校正などというお遊びは四回目で,流石に止めると言ったけれど,そうは行かないかも知れない。一年後,二年後,四年後だったから,次はきっと八年後だろうが。喜寿の祝いの引き出物に予定しておこう。