『太素』巻2 調食に:
其大氣之■而不行者,積於胷中,命曰氣海,出於肺,循喉嚨,故呼則出,吸則入。
とある。■は木偏に専。先ず木偏は俗字で手偏と紛れるのは普通のことだから気にしない。で,ここは手偏のほうが相応しいと考える。そもそも,外の箇所では手偏も木偏も才に近い形になることが多い。
問題は声符の方で,普通には専は專の常用漢字体ということになろうが,実際には尃の右肩の一点などは,俗字では書き落とされることも多いので,手偏に専の形は,搏でハクで うつ・とる なのか,あるいは摶でタンで あつまる なのか,にわかには決定しがたい。
どの字に解すべきかとなると,先ず他の書物ではどうなっているかをみる,ということを思いつく。『太素』の調食のこの部分は『霊枢』五味にある。ところが問題の字は,我らが明刊無名氏本では搏だが,明趙府居敬堂本では摶である。
次に考えるべきは,注では何をいっているか。幸いなことに,楊上善は「謗各反,聚也」と音も義も注記しておいてくれた。謗はハウ(歴史的仮名遣い)で各はカクだから謗各反はハク。ところが「聚」という義は,代表的な古字書などには搏にも摶にも見つからない。ただ偉い先生がたの考証をみると,摶は團に通じ,團に聚の義はあるわけだから,ここは摶と判断すべきだとなる。楊上善は釈音を間違えたことになるが,まあ他でも度々間違えているわけだから……。それに原鈔の問題の字の右下にアツと書かれているらしい。これはおそらくはフリガナだろうからアツまる,聚まると,鈔者も読むつもり,読ませるつもりだったのだろう。
ここはひとまず解決がついたとして,他にも声符専に書かれた字をどう決定すべきかが不安である。『太素』と『素問』『霊枢』を対比してみると,薄あるいは揣になっていることが多い。薄ならハクで搏という関係はまあいいらしい。義は迫とか拍とかにつらなっていく。
しかし揣はどうなのか。対応関係は摶とであろうが,音はスイあるいはシである。でいろいろ調べてみると,『漢語大字典』クラスの字書になると,別にタンに近い音も載っている。(小型の辞典のなかでは『新字源』に載る。)しかも古くは團と通じて用いられたらしい。つまり揣には同形異字の,摶と異体字関係にあるものが有るらしい。傍証としては『説文』に「𨄔(足專):脚腸(ふくらはぎ)也,或作腨」と載る。形符の足と肉は同類,声符の専と耑は同音もしくは近音,で互いに取り替えて用いるというのは異体字発生の常道であった。
一応:
別本で揣 or 形右上に点なし or 音タン or 義あつまる なら 摶?!
別本で薄 or 形右上に点あり or 音ハク or 義うつ とる なら 搏?!
という関係は成立するらしいが,ことが俗の情勢にあることだから,形・音・義のどこにでもウッカリミスは発生する。結局のところは深く読み込んで判断するしか無い。たとえば長鍼の身は『霊枢』によって薄(うすい?)とすべきか,『太素』によって團(まるい?)とすべきか。真腎の脈は『太素』によって揣でタンで聚とみるべきか。いや楊上善は音は初委反(シ)というし。『素問』『甲乙経』によって薄を取って,したがって迫ってくるような脈と考えようか。楊上善が義は動也というのも,薄→迫・拍のほうが相応しいかも知れない。楊上善の釈音はここでも間違っている。いや,そもそも搏を摶と見間違って,しかも揣と書き間違えたか。なやましい。
というようなわけで,『太素』の新新校正などというお遊びは四回目で,流石に止めると言ったけれど,そうは行かないかも知れない。一年後,二年後,四年後だったから,次はきっと八年後だろうが。喜寿の祝いの引き出物に予定しておこう。
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