2018年5月22日 星期二

うつうつとして

鬱病患者と鬱傾向の人というのがいるのだろう,と。
私自身は鬱傾向であって,鬱病ではないとは思っている。

でも,インターネット上でチェックしたら,中程度警告。
しっかり「すぐに精神科に相談」を勧められた。
そんなにヤバイところにチェックをいれたつもりはない。
どうしてそうした警告になったかも,理解できてない。

普段は,もう少しヤバく落ち込んでいる。
でも,わたしはお医者さんにはかかれない。
薬は信用してない。私には救いにはならない,と思う。
鬱病患者にもなれない,そういう種類の鬱傾向です。

多分,自殺願望は無い。
それが救いになるとも思ってない。今のところ。

多分,他の人からみても,あんたなんて鬱病じゃない!
ということだと思う。

2 則留言:

  1. ……ペツポのをぢは生れつき兩の足痿えたる人なり。當時そを十字に組みて折り敷き居たり。されど穉きときよりの熟錬にて、をぢは兩手もて歩くこといと巧なり。其手には革紐を結びて、これに板を掛けたるが、をぢがこの道具にて歩む速さは健かなる脚もて行く人に劣らず。をぢは日ごとに上にもいへるが如く西班牙磴の上に坐したり。さりとて外の乞兒の如く憐を乞ふにもあらず。唯だおのが前を過ぐる人あるごとに、詐ありげに面をしかめて「ボン、ジヨオルノオ」(我俗の今日はといふ如し)と呼べり。日は既に入りたる後もその呼ぶ詞はかはらざりき。母上はこのをぢを敬ひ給ふことさまでならざりき。あらず。親族にかゝる人あるをば心のうちに恥ぢ給へり。されど母上はしばしば我に向ひて、そなたのためならば、彼につきあひおくとのたまひき。餘所の人の此世にありて求むるものをば、かの人 筐の底に藏めて持ちたり。若し臨終に、寺に納めだにせずば、そを讓り受くべき人、わが外にはあらぬを、母上は恃みたまひき。をぢも我に親むやうなるところありしが、我は其側にあるごとに、まことに喜ばしくおもふこと絶てなかりき。或る時、我はをぢの振舞を見て、心に怖を懷きはじめき。こは、をぢの本性をも見るに足りぬべき事なりき。例の石級の下に老いたる盲の乞兒ありて、往きかふ人の「バヨツコ」(我二錢許に當る銅貨)一つ投げ入れむを願ひて、薄葉鐵の小筒をさらさらと鳴らし居たり。我がをぢは、面にやさしげなる色を見せて、帽を揮り動しなどすれど、人々その前をばいたづらに過ぎゆきて、かの盲人の何の會釋もせざるに、錢を與へき。三人かく過ぐるまでは、をぢ傍より見居たりしが、四人めの客かの盲人に小貨幣二つ三つ與へしとき、をぢは毒蛇の身をひねりて行く如く、石級を下りて、盲の乞兒の面を打ちしに、盲の乞兒は錢をも杖をも取りおとしつ。ペツポの叫びけるやう。うぬは盜人なり。我錢を竊む奴なり。立派に廢人といはるべき身にもあらで、ただ目の見えぬを手柄顏に、わが口に入らむとする「パン」を奪ふこそ心得られねといひき。……(即興詩人)

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  2. スメルハラスメントとは、臭いによって周囲を不快にさせることか、それとも、あんたは臭いといって相手を不快にさせることか。

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