2014年11月11日 星期二

中医古籍整理叢書重刊

中医古籍整理叢書の重刊が出てますね。
出版社によると,原版の出版から時間がたって,市場に見つけることが困難になっているし,中には中医読者の珍蔵品とされるようなものになっているから,重刊が必要になった,らしい。
有り難いことです。
現代の読者の閲読習慣を考慮して,繁体字横排にしたそうです。パソコン時代ですからね。私ごときも,横排の方に親しみを感じるようになってしまってます。
しかしねえ,余程丁寧にやってもらえないと,誤解しそうなんです。
『鍼灸甲乙経校注』の重刊,巻一・四海第八の部分:
血海有餘則常想其身大,怫 鬱也。然不知其所病;
(校注の番号は省略)
不覚ながら,ぎょっとしました。「常想其身大,怫。」なんて句読が有るわけがない!それはまあ,有り得ません。勿論,「怫然不知其所病;」です。つまり「鬱也」の下の「。」は小さくするべきです。昔の竪排ではちゃんとそうなってます。「鬱也。」は小字注文のはずです。

2014年11月7日 星期五

徘徊 言い換えませんか

言い換えませんかァ?

なんのつもりだ。徘は行ったり来たりする,徊はぐるぐるまわる。どこともなく歩きまわること。
どこが気に入らないんだ。

わたしなんぞは,東京に出れば神保町あたりを徘徊して書物を購い,時間に余裕が有れば横浜中華街を徘徊して,飯を食い買い物をする。「一人歩きして」なんぞとは金輪際,言われたくない。
棚と棚を眺め徊ったり,たまに引き抜いたり,たまに(必要も無い書物を)購入したり。それはまあ,とりとめもない。
中華街ですれ違った幸せそうな若い(幼稚い?)カップルの,男の人が一人で来る(徘徊している?)なんてなんでなんだろ,なんていう呟きが耳に入ったことも有る。それはまあ,小籠包を歩き食いするためじゃない。

痴呆症を認知症と言い換えた成果の応用のつもりらしい。それはまあ痴愚で阿呆はいささか拙いかも知れない。

日本人は一字一字の字義に拘りすぎる傾向が有ると思う。国語審議会だかで,人名には使える漢字のリストから塵というのは外されたらしい。塵芥なんて名をつける親は有るまい,ということらしい。銭超塵先生,どうしましょう。つける親は有るまいということなら,疾病なんてのも要らなさそうに思う,でしょう。ところがどっこい,中国の歴史上には棄疾さんも去病さんも,燦然としている。

言い換えてしばらくたつと今度は,ひとり歩き,外出,お出かけ,お散歩にも,いや~な雰囲気が出てくる。そして日本語は痩せ衰える。