2017年12月29日 星期五

玉策

『干禄字書』に,䇲は策の俗とある。そして俗字の竹冠はしばしばさらに草冠に変わる。してみれば荚もまた策の俗字である。
策はもと竹製のムチである。
ただし,その形状から馬王堆の房中書ではしばしば玉策として,男陰をさす。玉は無論のこと美好の意を表現する。
『霊枢』根結篇に,「厥陰,根于大敦,結于玉英,絡于膻中」とある。
普通には,玉英は玉堂穴のことというけれど,足の親指から,一端,玉堂まで上って,それから,わずかとはいえ下がって膻中を絡うというのは変だ。
おそらくは,玉英は玉荚の見まちがえで,玉策すなわち男子の前陰なのであろう。
乃ち,厥陰はまさしく前陰の脈である。

2017年12月14日 星期四

引用文

天回医簡中の「通天」について話してもらった(らしい)顧漫さんの引用のしかたについて一言。
『脈書・上経』の核心は「気之通天」であるとして,簡文の起首が紹介される。
  敝昔曰:人有九徼五臧十二節,皆[鼂於氣]……
  ※置き換えるべき規範字は略す。
  [ ]内は現物では見えなくなっているらしい文字。
この段の文字は,『素問・生気通天論』に「天地之間,六合之内,其氣九州、九竅、五藏、十二節,皆通乎天氣」として引かれていて,その「九竅」二字は注文であって正文に混入している,という。え,「九州」二字を注文と考えているのと違うの。だって,顧さんが続く文章中で云々しているのは,五蔵の気は九竅に由って外界の天気と相い通ずるということじゃないの。
また,鼂は朝と同じといい,『素問・経脈別論』の「肺朝百脈」と下文「氣口成寸,以决死生」と呼応するといって,また『素問・五蔵別論』の「氣口何以獨為五藏主氣」の依拠だとする。『五蔵別論』には「主氣」の「氣」字は無いはず。有るのは『太素』。
まあ,どうでもいいけどね。

2017年12月7日 星期四

訳書の功罪

どこやらの国のなんとやらいう翻訳文学賞,賞金は著者と訳者で等分だそうだ。
つまり,両者の功罪は相い半ばする。

著者の注と訳者の注は,厳密に区別する。無論,それが望ましい。

しかし,読者がみるのは,普通は訳文だけ。著者のとんでもないウッカリは,黙って正してあげるのが,むしろ親切かも知れない。訳者のとんでもないウッカリを,著者が忠告する余裕はあるまい。

いちいちこれは原著の注,これは訳者の注,なんてやられたら,五月蝿くてしようがないかも知れない。五月蝿く注記するのは,訳者の自己満足に過ぎないかも知れない。読者はそんなの分かっているよ!あるいは,もっと詳しくしてくれないとワカンナイ……。

所詮,功は著者に,罪は訳者に。他にどうしようもない,のかも知れない。

2017年12月1日 星期五

オハヨウ

オハヨウを,中国語ではなんという。
さまざま有るだろうが,google翻訳では早安とでた。
ちょっとまってよ,それって Good morningの訳では。

大陸では,早上好だという説もあったけど,それだって。

で,それらが Good morningの訳だとしたら。
むかしの人はなんといっていたのか。

“吃飯了嗎?”