『太素』巻19官能の「若
在若無,若亡若存」について,新新校正に
「有」を,原鈔が「在」に誤ったのは,日本語の訓「ある」に引きずられたもので,和臭 とか,
『霊枢』は「有」に作る とか言ったのは拙かった。明刊未詳本『霊枢』は「若
在若無」でした。『霊枢講義』が,「若
有若無」なのは,渋江抽斎が改めたからです。根拠ははっきり言ってない。で,他の版本も気になって趙府居敬堂本,といってもむかし人民衛生出版社が出していた,例の版心を削ったやつですが,やっぱり「若
在若無」でした。あれまあということで,郭靄春編『黄帝内経霊枢校注語訳』を見たら,「若
有若無」です。あら,底本は趙府本だったんじゃないかと確かめたら,人民衛生出版社一九六三年排印本でした。河北医学院校釈(主編は郭靄春)の『霊枢経校釈』の底本は趙府本で,「若
有若無」で,
原は「在」に作るが,日刻本、馬注本、張注本、黄校本に拠って改める と言う。これが一番まともみたいだけれど,「若
在若無」では本当に駄目なのかね。
沒有留言:
張貼留言