乾興元年(一〇二二)二月,真宗が崩じ,遺詔によって第四代仁宗が即位,真宗の皇后劉氏が皇太后として政に臨んだ。その皇太后垂廉の天聖・明道年間(一〇二三―三三)に,唐の玄宗が自ら注を施した『御注孝経』が刊刻された。……この書を北宋の原刊本とするのは,いわゆる宋諱の闕筆によるのである。……通は,皇太后の父の諱である。闕筆は后妃などの父までは及ばないのが普通であるが,この場合は,乾興元年十月に真宗を葬った後,国の内外に詔して,特に皇太后の父の諱の「通」を避けしめたことに拠るものである。而して明道二年(一〇三三)三月,皇太后の崩ずるとともにその制を止めたから,刊刻の時期はこの明道二年以後ではないことになる訳である。
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