2013年12月28日 星期六

自ら悼む

他人の死に逢って衝撃を受けるのは,そこに己の死をみるからだ,といった人がある。
大往生だねとか,まだやりかけの為事があったろうに,とか。
まあ,そうした感慨を持つものには,概ね,まだやりかけの為事がある。
だから,概ね,溜め息をつく。

追悼号が出て,追悼大会が開かれる。
追悼大会には参加の予定だが,追悼号に追悼文は書かなかった。
こうしたところへ,いい加減いくつも書いた気分だったからだ。

誰かに逝かれて,その後に突飛な行動をとったとしたら,それはまあ無関係ではない。
中国旅行は,親父の一周忌がすんだら一度とは思っていた。
しかし,それが開封になったのは,多分,他にわけがある。

彼は,そこそこ功なり名をとげたんじゃないか。
私はまだ,何もしていない。

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