……それはまさに邯鄲の夢さめて,もはや余命いくばくもないのに,盧生が遺表をたてまつらんとて,なお二王の字を模写して,後世に流伝させようと考えたのと同じである。……近ごろ,他の人の翻訳のミスが気になってしょうがない。
上記は岩波文庫『陶庵夢憶』自序の一節だが,言わずと知れる,唐代伝記「枕中記」を下敷きに使っている。大出世した主人公は,寿命を全うして,その終に臨んで上奏し,皇帝からねんごろな詔が下った。その夕,逝去した。夢の中で死んだら,この世で醒めた。
だから順序として,「まさに邯鄲の夢さめて」はおかしいような気がする。主人公本人には自覚は無いにしても,「まさに邯鄲の夢さめんとして」のはずじゃ無かろうか。(訳者は,自分ではそのつもりかも知れない。)
自序の相当する部分は,「……正如邯鄲夢断,漏尽鐘鳴,盧生遺表,猶思摹搨二王,以流伝後世……」。そもそもかなり意訳していると思う。
いま手をつけている『大綱』の翻訳,できあがったら各方面からさんざんぼろくそに言われるだろうな,と思う。
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