なんだかあんまり哀しくないんです。
病院にあずかってもらって,週に何度か見舞って,時には一言二言ことばを交わして,多くは寝顔を看て帰って来る。だから,行けばまだ居るような気もして,なんだかあんまり哀しくないんです。
そもそも睡るがごとき大往生で,その人生も,期待はずれの息子はおいて,まあ満足なものだったんじゃないか,と思うし。
音痴ではあったけれど,運動のほうはすこぶる付きの達者で,専門学校へ進んだ際には,スポーツによる推薦入学か,と陰口をたたかれたほどだった,とか。だから,スポーツならサッカー選手。
研究なら,当時の花形,肺結核の治療。臨床なら,漢方の処方。
趣味なら,園芸。頚の手術で車椅子になってからは,咲いた花のための写真撮影。
さすがに,最後ころにひねった俳句は,ものにはならなかったけれど,まあ満足な一生だったのではないか。
子が二人,孫も二人,小学校と保育園の曽孫が三人。最後の数年,先に逝った女房を,どうしたのか,どうして来ないのか,などと問われることは有ったけれど,まあ,それほど頓珍漢な,端に迷惑なボケも少なくて,まあ満足のいく晩年,まあ納得のいく生涯だったのではないか。
なにかをしようとするときに,ぐっとくることは,それはまあ有るけれど,普段にはなんだかあんまり哀しくないんです。むしろ,なんだかハイな感じで,一切合切が落ち着いたころにどっと疲れがでる,気をつけろといってくれる友人もいるけれど,今はとりあえず,あんまり哀しくないんです。