2015年3月27日 星期五

當→当

酒がかなりはいってからの,しかも話の端のことながら,「當の当用漢字を当とするのは,日本で勝手に作った形だ」,と聞いたような気がする。
醒めてつらつら考えるに,これは草書の楷書化(こんな言い方が有るのかどうかも知らない)じゃないか。
「ひらがなは草書の変化だ」とも,聞いたことが有るような気もする。で,ひらがなの形には,もとはいろいろ有ったらしい。に相当するものには,太・田・多・佗・唾・堂・當などが有る。このうち今の「た」になったのは,直接的にはやはり「太」だろう。
で,「當」の草書は下部をもう一歩整理すれば確かに「当」に近くなる。の音を表現するひらがなとして「當」の草書に見慣れていれば,「當」と書くべきときに,略して「当」に近い形を書くことは有ったろう。それを当用漢字として採用した。

ひらがなが関わっているとなると,「日本で勝手に作った形」,なのかも知れない。でも,草書の楷書化に過ぎないとなれば,中華の民だってやるんじゃないかと思って,『宋元以来俗字譜』を見たら,あっさり載ってました。通俗小説、目連記、金瓶梅、嶺南逸事。

2015年3月11日 星期三

俗字 ですらない

……さらに宋の宋祁『宋景文公筆記』巻中にいう後魏北齊の里俗に偽字「文子で學と為す」の話と,孫奕『履斎示児篇』巻二二に引く『字譜総論訛字』に「學」を俗に「斈」と書くという記載とを関連づければ,「斈」は確かに長きにわたって行われた俗字である(流行已久的俗字)。『改併四聲篇海』に引く『俗字背篇』に「𡕕」(夂の下に文)に作り,また「𢻯」(攵の下に文)に作るということについては,筆者は孤陋寡聞にして,未だそのような用例をみたことが無く,その信頼性は大いに疑わしい。……
(張涌泉『敦煌俗字研究導論』より)

2015年3月9日 星期一

郎知本『正名要錄』

敦煌文書の中には,いくつもの俗字書が有って,その一つを郎知本『正名要錄』という。ところが『舊唐書』郎餘令傳というものが有って,餘令の從父に同じ經歷の知年というのが登場する。また,『日本國見在書目』には,『正名要錄』は司馬知羊の撰ということになっている。郎知年はかつて司馬であったらしいから,これは官名を誤って姓氏としたのだろう。羊は本か年の誤り。では本なのか年なのか。よくわからないが,本の異体字に夲が有り,年の異体字に秊が有る。そりゃ間違うことも有るはなあ。あとは,傳抄された史書を信じるか,当時の俗文書を信じるか。