2018年3月20日 星期二

九竅為水 注之於器

『素問』陰陽応象大論「九竅為水注之気」について,『素問記聞』に「因竊意之,気必器」といい,『素問考』には「或曰:気,疑応作器」という。そしてどちらでも,気と器は同音であるとしたうえで,『外台』引「刪繁論」では「九竅為水注之於気」(『素問考』では「於」は剥落の模写)だという。「九竅は水を為し,これを器に注ぐ」というつもりではないか。
もつとも,『素問記聞』も『素問考』も,さらに『五行大義』に引かれた本経を引いて,そちらのほうを評価している。ところが『素問識』はまたまた再考して,やっぱり『類経』の説のほうが穏当だという。ころころ変わる。やはり難問なんだろうなあ。

なんにせよ,藍泉斎蔵書『素問考』の前言に,「将『愚案』二字改為『因竊意之』,示為於己意,実為掩善也」などと言うのは気が知れぬ。愚案は『類経』の案語であって(愚は張介賓の自遜),そこには気は器,などとはいってない。『素問考』「或曰:気,疑応作器」の前に,ここまでが『類経』の説という意味で,「以上張氏」と明示してあるのに,なんとしたことか。

沒有留言:

張貼留言