2013年3月31日 星期日

須師乃行

陳延之『小品方』に,「それ針術は師を須ちて乃ち行わる,その灸は則ち凡人便ち施す」というところをみると,「針は専門家でなければ行なえない」といっているように思える。
しかし,「針灸で最も言葉で表現しがたいものは手法である」と前置きするのだし,そして,それはその術を秘密にして容易に人に示さなかったからだとか,いやそもそもコツを言葉で表現するのは難しいからだとかが,本当に言いたいことだろうから,「師匠について修行してはじめて身につけられる」とも思える。
わたしはどうしても,庖丁とか輪扁とかを連想してしまう。師匠に就いて手取り足取りしてもらって,その上で自らの会得が無ければ,どうにもならない。私自身は,特に後者がどうにもならなかった,と思う。

古人の糟魄の解明にいそしんでいる自分がいる。愛読書ねえ,みな糟粕です。

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