2013年4月20日 星期六
2013年4月7日 星期日
2013年4月4日 星期四
桂山先生の講義
多紀元簡のごく初期の『素問』講義の内容を伝えるものとして,『素問記聞』が有り,それと殆ど同じ内容の『素問考』が有る。その陰陽応象大論の篇名の解説として,どちらにも呉昆を引いて,「天地之陰陽,一于人身之氣血。應象者,應于天象而配于陰陽五行。」とある。この「一于人身之氣血」の「于」を,持て余したようで,『素問記聞』には「アツカル」,『素問考』には「ナリ」などと仮名がふってある。実のところ,『素問考』はともかくとして,『素問記聞』の抄者の教養レベルは相当に酷いもので,とても自分で工夫したとは思えない。多分,桂山先生ご自身があれかこれかと思い煩ったのを記録したのだろう。ちなみに教養レベルが酷いというのは,誤字が無茶苦茶多いということで,その大部分は形誤である。だから,講義録がほうりだされていて,受講生がそれを抄写できたとでも考えなければ,『素問記聞』や『素問考』は,その存在さえも不可能だろう。
話をもとに戻して,「一于人身之氣血」の「于」字は,呉昆の原書には無い。だから,『素問識』では「一人身之氣血」で,「人身の気血を一にす」と訓ませるつもりらしい。無論,かつて悩んだらしい風情なぞかけらも無い。前に『素問記聞』の誤字は殆どが形誤といったが,稀にある声誤らしきものに,張志聡を張思聡と書く例が有る。実は『素問考』にも有る。となると,桂山先生ご自身がウッカリ書き間違えたのを,門下生が無批判に書き写していた可能性も,無くは無い。桂山先生,以外とウッカリものだったのかも知れない。
呉昆の注には「于」あるいは「於」が有るか無いかなんぞということは,銭先生の校注本『素問考』には全くふれられてない。(そもそも日本的錯誤満載の書物の整理なぞということが,日本人の協力無しに可能だとは思わない。)
話をもとに戻して,「一于人身之氣血」の「于」字は,呉昆の原書には無い。だから,『素問識』では「一人身之氣血」で,「人身の気血を一にす」と訓ませるつもりらしい。無論,かつて悩んだらしい風情なぞかけらも無い。前に『素問記聞』の誤字は殆どが形誤といったが,稀にある声誤らしきものに,張志聡を張思聡と書く例が有る。実は『素問考』にも有る。となると,桂山先生ご自身がウッカリ書き間違えたのを,門下生が無批判に書き写していた可能性も,無くは無い。桂山先生,以外とウッカリものだったのかも知れない。
呉昆の注には「于」あるいは「於」が有るか無いかなんぞということは,銭先生の校注本『素問考』には全くふれられてない。(そもそも日本的錯誤満載の書物の整理なぞということが,日本人の協力無しに可能だとは思わない。)
2013年4月3日 星期三
不当のところは読者これを指正す
『素問考』の末に「寛政四年庚戌之夏集之」とあるが,庚戌は寛政二年であるから,庚戌は壬子の誤りであるとか,四年が二年の誤りのはずとか囂しいが,学苑出版社の校注本の前言で,銭教授が句読を工夫して,「寛政四年(に完成した)。庚戌の夏に集めはじめた。」と読めといわれる。さすがというべきところかも知れないがいわない。
明の劉純『医学入門』陳有戒陝西刊本の楊士奇序に「正統三年己未」とある。「己未」なら四年のはずである。こうした誤りはしばしば起こりがちなものであって,いちいち妙な工夫をして辻褄合わせはしないほうがいいと思う。
明の劉純『医学入門』陳有戒陝西刊本の楊士奇序に「正統三年己未」とある。「己未」なら四年のはずである。こうした誤りはしばしば起こりがちなものであって,いちいち妙な工夫をして辻褄合わせはしないほうがいいと思う。
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