2013年4月4日 星期四

桂山先生の講義

多紀元簡のごく初期の『素問』講義の内容を伝えるものとして,『素問記聞』が有り,それと殆ど同じ内容の『素問考』が有る。その陰陽応象大論の篇名の解説として,どちらにも呉昆を引いて,「天地之陰陽,一人身之氣血。應象者,應于天象而配于陰陽五行。」とある。この「一于人身之氣血」の「于」を,持て余したようで,『素問記聞』には「アツカル」,『素問考』には「ナリ」などと仮名がふってある。実のところ,『素問考』はともかくとして,『素問記聞』の抄者の教養レベルは相当に酷いもので,とても自分で工夫したとは思えない。多分,桂山先生ご自身があれかこれかと思い煩ったのを記録したのだろう。ちなみに教養レベルが酷いというのは,誤字が無茶苦茶多いということで,その大部分は形誤である。だから,講義録がほうりだされていて,受講生がそれを抄写できたとでも考えなければ,『素問記聞』や『素問考』は,その存在さえも不可能だろう。
話をもとに戻して,「一于人身之氣血」の「于」字は,呉昆の原書には無い。だから,『素問識』では「一人身之氣血」で,「人身の気血を一にす」と訓ませるつもりらしい。無論,かつて悩んだらしい風情なぞかけらも無い。前に『素問記聞』の誤字は殆どが形誤といったが,稀にある声誤らしきものに,張志聡を張思聡と書く例が有る。実は『素問考』にも有る。となると,桂山先生ご自身がウッカリ書き間違えたのを,門下生が無批判に書き写していた可能性も,無くは無い。桂山先生,以外とウッカリものだったのかも知れない。
呉昆の注には「于」あるいは「於」が有るか無いかなんぞということは,銭先生の校注本『素問考』には全くふれられてない。(そもそも日本的錯誤満載の書物の整理なぞということが,日本人の協力無しに可能だとは思わない。)

1 則留言:

  1. 『素問記聞』でも『素問考』でも,「積陽為天」が「治病必求於本」よりも前に在る。ただし,『素問記聞』では後と前,『素問考』では下,上と注記して,順を正すように指示している。言うまでも無かろうが,経文では「治病必求於本」のほうが「積陽為天」の前に在る。注記の文字が『素問記聞』と『素問考』で異なるのも,各門下生が原本をおのおの抄写して準備したうえで受講して,桂山先生の口頭での訂正を注記したかと思われる。別の機会に,別の言葉で訂正を指示したのかも知れない。『素問考』のほうが,「治病必求於本」についての説明が長いので,より遅い時期の講義の記録である可能性は有る。
    例によって,銭先生の校注本『素問考』は全く気にかけてない。

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