2014年2月23日 星期日

裹誤作里

最近,中国で出版される中医古籍の多くは,簡体字版である。好いんだろうか。好いんだろうなあ。
でも,例えば,
裹:原误作「里」,据○○本改。
なんてやったら,滑稽じゃないのか。これは当然,
裹:原誤作「裏」,據○○本改。
とすべきである。そうでなければ,ほとんど無意味である。
だから最近は,すっぱりと校記なんか全く無しというのまで出てきた。好いんだろうか。好いんだろうなあ。
でも,子供あつかいにされているように思う。

2014年2月19日 星期三

東洋文庫『世説新語2』 p.316

裴叔則被収、神気無変、挙止自若。求紙筆作書書成救者多、乃得免。後位儀同三司。
……紙と筆を求めて手紙を書ききちんと書き上げた助命嘆願する者が多かったので、やっと放免された。……

だったらどうして,上のような句読にしたのか。

2014年2月15日 星期六

医学天正記

ほとんど全部,薬による治療だとおもうけど,戦国歴史マニアとして,学苑出版社から出たのを覗いてみた。で,やっぱりだけど,患者の表記の誤りがワンサカ。

 本阿又三郎→本阿又三郎
 齐藤刑部→齊藤刑部
 远江浜松佐藤清卫门→遠江浜松佐藤清衛門(原本には補ってある)
 原伯耆守→原伯耆守
 浅野弹正弼→浅野弾正弼(原本には補ってある)
 下间刑部法印→下間刑部法印
 河边新→河辺新
 蜂屋𣨒九郎→蜂屋九郎
 下根三十郞→下根三十郞
 𣨒二郎→二郎
 女樂→女
 荒尾摩守→荒尾摩守(原本は芃屋を荒尾に訂正)
 子新太郎→子新太郎
 远藤𣨒作母→遠藤作母
 生下野守→生下野守
 喜多安津→喜多安津
 德永法印女中→德永法印女中
 喜多左京亮妹→喜多左京亮妹
 水瀬殿女中→水瀬殿女中

まだまだこんなものじゃない。どこかから所謂「歴女」の一人も引っ張ってきて,見せればよかったのに……。

2014年2月4日 星期二

黃帝ですか黄帝ですか

私の『太素新新校正』に,漢字の些細な筆画に拘る傾向が有ると思われているとしたら,それはまあ誤解です。それはまあ,などと引っかかる言い方をするのは,拘ってないわけでもないからです。でも,それは原鈔に見える俗字を解釈してコレだと示すのに,印刷物として固定するのに,楊上善の時代の正字に近づけようと試みているからなんです。無論,そんなことは不可能です。『干禄字書』を最大の依拠とはしていますが,決定的に資料不足です。では,どうするか。『康煕字典』体に従う,ということで逃げています。時代錯誤という叱責は覚悟しています。だから,これは逃げです。
『干禄字書』の正字も,『康煕字典』体も,現代人にはなじみが薄いかも知れない。だから,なんでそんなものに拘るのかという批判の声は聞こえてきます。私自身の内心からも聞こえてきます。でも,どんな字体だって良いじゃ無いか,というノーテンキでは入力はできません。読む方は良いです。漢字というものは,極めてフレキシブルなものです。耶だって邪だって,説だって說だって,狭だって狹だって,荅だって答だって,爲だって為だって,虛だって虚だって,普通の教養が有る普通の日本人なら読めるでしょう。でもどれでも良いとして作成した資料を並べて,あの本はこの字形,この本はこの字形,などと議論しだしたら滑稽です。いや,冗談じゃないですよ。外字をふんだんに使った『素問』『霊枢』をインターネット上で見つけて,四苦八苦する人は,実際にいたんです。文字化けしているんだから読めるわけがないのに。

だからね,『干禄字書』では何ともならないから『康煕字典』,というのは如何に何でも乱暴だ,とは思っています。そこで,現在は宋代の版本に実際に使われている字形を探ろうかな,と。でも,これにも信頼に足る資料なんてそうはない。王寧さんが主編で王立軍という人が著した『宋代彫版楷書構形系統研究』というのが有りますが,持っているのはそれくらいですかね。私,別に漢字研究者じゃないですから。漢字研究者に成りたくないわけでもないけれど。

黃帝ですか,黄帝ですか,それとも皇帝ですか。