2014年3月29日 星期六
脉
漢字は,もともとは絵であったろうから,二人のものがそれぞれに工夫すれば,同じことを表現するに,二通りの絵ということもまま有ったろう。そういう発想の異なる絵が,形体を異にする文字になってしまうのは,納得できる。気にさわるのは,同じ発想の絵が,標準化の過程で別の種類の整理によって,二通りの文字になったといわれる場合で,手書きならそこが漢字のフレキシブルなところ,便利なところと嘯いていられるが,活字、フォントとなるとそうはいかない。極端な話,シンニュウの点の数で,試験の合否が決まったんではどうもならん。そこまでで無くとも「脈」と「脉」,こんなのはもともと同じでしょう。脉の右半は別に永じゃない。𠂢(脈の右半,環境によっては化けるかも)の書き順を変えれば,たぶん,こうなる。𠂢(脈の右半)、乑(衆の異体字らしい)、永,そっくりじゃないか。なまじ活字、フォントの用意が有るから,脈か脉か,どちらを使おうかと迷うけど,しょうもない。仁和寺本『太素』なんぞでは,さらに二の下に水のような形になっている。これには流石にフォントが無い,と思ったら,有ったよオイ,って部品のはなしだけど。𣱵(亠の下に水,勿論,化けるだろう),最初の一画がゝだけど,仁和寺『太素』だって……。
2014年3月22日 星期六
2014年3月3日 星期一
其他奇方異治
『甲乙経』皇甫謐序に:
……漢有華佗、張仲景。其他奇方異治,施世者多,亦不能盡記其本末。……とあり、張燦玾氏も黄龍祥氏も、「其他」は「華陀」であるべしとして、『千金翼方』序を証拠に挙げるが、合点がいかぬ。
……漢有倉公、仲景,魏有華他,並皆探賾索隱,……漢代の人として倉公と仲景だけを挙げたから、魏には華陀というのであって、『甲乙経』皇甫謐序のように漢代の人として、華佗と張仲景を挙げたのであれば、改めて華陀の奇方異治がどうのこうのという必要は無い。『千金翼方』序なんて、他は佗に通じるという証拠くらいにしかならない。
……漢に華佗、張仲景有り。其の他に奇方異治を,世に施すもの多し,またことごとくその本末を記すこと能わず。……で、なんでいけないんだ。張氏とか黄氏とか、碩学がこぞって咎めるところからすると、「其他」云々では現代漢語として、気色が悪いんだろうか。
訂閱:
文章 (Atom)