漢字は,もともとは絵であったろうから,二人のものがそれぞれに工夫すれば,同じことを表現するに,二通りの絵ということもまま有ったろう。そういう発想の異なる絵が,形体を異にする文字になってしまうのは,納得できる。気にさわるのは,同じ発想の絵が,標準化の過程で別の種類の整理によって,二通りの文字になったといわれる場合で,手書きならそこが漢字のフレキシブルなところ,便利なところと嘯いていられるが,活字、フォントとなるとそうはいかない。極端な話,シンニュウの点の数で,試験の合否が決まったんではどうもならん。そこまでで無くとも「脈」と「脉」,こんなのはもともと同じでしょう。脉の右半は別に永じゃない。𠂢(脈の右半,環境によっては化けるかも)の書き順を変えれば,たぶん,こうなる。𠂢(脈の右半)、乑(衆の異体字らしい)、永,そっくりじゃないか。なまじ活字、フォントの用意が有るから,脈か脉か,どちらを使おうかと迷うけど,しょうもない。仁和寺本『太素』なんぞでは,さらに二の下に水のような形になっている。これには流石にフォントが無い,と思ったら,有ったよオイ,って部品のはなしだけど。𣱵(亠の下に水,勿論,化けるだろう),最初の一画がゝだけど,仁和寺『太素』だって……。
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