2012年11月29日 星期四

防禦の婿

南宋の聞人耆年『備急灸法』の自序に,「杜一鍼防禦婿檇李聞人 耆年述」とある。
防禦とは何か?宋代の都市と生活を記述した『東京夢華録』巻二「潘楼の東の町々」に「……仇防禦の薬屋もある……」とあって,防禦への訳注(東洋文庫版 入矢義隆・梅原郁訳注)として:
このころの医者には防禦を称したものがしばしば見られ,例えば『夷堅志』支甲巻七には眼科医の徐防禦のことが載っている。防禦とは武官の防禦使のことであろうが,医者がどうしてこの官名を僭称するようになったかは未詳。しかしこのような濫称が宋代の流行であったことは,『容斎三筆』巻五によって知られるし,清明上河図にもそれが画かれている。
それにしても,誰それの婿という肩書きなんて,他では見たことが無い。当時は普通だったんだろうか,それとも聞人耆年さん,郷間に居ること四五十年で,他に何とも名乗りようが無かったんだろうか。杜一鍼という人がよっぽどの有名人だったんだろうか。

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