ある大先生が尺牘の例として,自分の書いた「比已秋深、定多佳興、弟幸次郎、亦復碌碌、忙於授徒、兼又著書、雖歎塵冗、頑健如常、不必垂廑、……」を示し、「比已に秋深し、定めて佳興多からん。弟幸次郎、亦た復た碌碌たり。
徒に授くるに忙しく、兼ねて又た書を著す。塵冗を歎ずと雖も、頑健常の如し。必ずしも廑を垂れざれ。……」などと,訓を添えるのはともかくとして,「徒」に「いたずら」と仮名をふるのはなんともはや。でもまあ,こんなのは,編集者のお節介なミスだろうと思って読みすすめると,「碑誌伝状の文章」の例として「女挐壙銘」をあげて,「五年、愈爲京兆」を「五年にして、
愈(いよ)
いよ京兆と為る」と訓んでいるのには,絶句です。この墓誌銘は,韓愈が書いたものなんですよ。そもそも大先生も,現代語訳は「後五年、韓愈は許されて北に帰り,栄転して京兆となった」としている。やっぱりどうも,先のミスも含めて,大先生の粗忽なんじゃないか。
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