2015年1月13日 星期二

迎随について

『霊枢』九針十二原の冒頭付近,小鍼の要の後半部分について,逢・逆・迎は通じて迎撃の意味であり,追・順・随は通じて追撃の意味であるという新解釈を聴いた。きわめて明快で魅力的なのだが,得心できないところも有る。「往者為迎,来者為迎」と言い換えられて互文であるとされるところもそうだが,『霊枢』逆順の「無撃堂堂之陣」に拠って,病勢が盛んなときには手を下さないという。症状が出ないうちに何とかするのが理想だが,たいしたことがないうちに何とかするのが次善,それもかなわなければ病勢が衰えてからにする。この説明も魅力的だし,それ自体に異論は無い。ただ「空中の機は清静にして微」であるといい,「掛けるに髪を以てもすべからず」といい,「これを叩けども発せず」あるいは「これを扣えて発せず」というところからすると,やはりタイミングを外すな,という語気をここには強く感ずる。つまり,刺すべき瞬間に刺し,抜くべき瞬間に抜け,はやまるな(来てないものを迎えにいってはダメ,ジッと待て),遅れるな(往ってしまったものを追いるようではダメ),躊躇するな。躊躇するなという注意は,『霊枢』には繰り返し説かれていると思う。粗(工)は闇の中にいるようなもので何もわからない,タイミングをはっきりとさとって外さないのは(上)工にのみ可能なのである。してみれば「往者為逆,来者為順」だけは,そのままの文字で,「(神気が)往ってしまうのは拙い,来てくれるのは喜ばしい」と解しておきたい。

1 則留言:

  1. ……針による治療の微妙なところは,速まるか遅れるかに在る。粗工は肉節に拘るが,上工はタイミングを気にかける。……

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