2015年1月5日 星期一

并州大都督楊暉

581 隋の文帝の即位。
589 楊上善,生まれる。
604 文帝崩じ,煬帝の即位。并州(山西省)総管・漢王楊諒の反乱,鎮圧。
617 太原(并州)留守・李淵の挙兵。
618 李淵即位し,唐の成立。
675 李賢,皇太子に。楊上善(87),太子文学に。
680 太子李賢,廃される。
681 楊上善,死す。
684 李賢,自殺。
705 武后死去。
711 李賢の名誉回復。

楊上善の墓誌銘にいう父親の暉が,并州大都督だったというのは本当のことなのか。本当だったとして,それはいつのことなのか。まさか,唐の高祖・李淵が挙兵の最初に戦った相手じゃ無いよね。楊上善は,そこまでの有力者の末裔じゃ無いよね。

1 則留言:

  1. 并州総管あるいは太原留守と,并州大都督の関係はいかなるものか?
    太宰帥と筑前守のごときものであったとして,楊上善の父親が大都督だったのが,楊諒の反乱のころなら隋との関係がやばくないか?李淵の挙兵のころなら唐との関係がやばくないか?
    楊上善は,楊諒の反乱のころに16歳,李淵の挙兵のころならすでに29歳?!その父親って,当時なら何歳くらいなんだろう?

    楊上善は,意外と名門の出で,ただし隋朝とも唐朝とも,微妙な関係に在ったんじゃないか?

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