『黄帝内経太素新新校正』巻21諸原所生の経文「(陽)〔陰〕中之少陽,肝也,其原出于大衝,大衝二。」と、楊注「日出初陽,故曰(陽)〔陰〕中之少陽也。」を、経文「陽中之少陽,肝也,其原出于大衝,大衝二。」と楊注「日出初陽,故曰陽中之少陽也。」に改めます。『太素』の原文のママのほうが、経注が相応するような気がしてきたからです。肝を陽中の少陽とするのと、陰中の少陽とするのと、本当はどちらが正しいのか、というのとは別の問題です。なんだか、どちらにも古い根拠は、有るらしい。
まあ、この篇としては、横隔膜以上を陽、以下を陰として、そこに在る蔵の性質から太陽だとか少陽だとか、言っていそうな気がするのだが、楊さんの意見は違うみたいだし。
2012年5月14日 星期一
少陽終者
『素問』診要経終論の篇末付近に十二経脈の終わりかたについての記事が有って、少陽については、郭靄春主編の『黄帝内経素問校注』も、「耳聾,百節皆縦,目睘絶系,絶系一日半死,其死也色先青白,乃死矣。」と句読し、その上で「先」字は衍ではないかと疑っている。まあ、それくらいが標準的な解釈だろう。
ところが、読書会の仲間のひとりが、「其死也色先青,白乃死矣」と言い出した。考えてみれば確かに、「色が先ず青白くなる」の前後を、「其死也」と「乃死矣」で挟んだのでは、いかになんでもくどい。
そこで調べてみると、竜伯堅の『黄帝内経集解・素問』(2004年天津科学技術出版社 原稿は1957年に完成?)は「其死也,色先青,白乃死矣。」として、「死的時候,面部先呈青色,由青転白就死了。」(死ぬときには、顔色は先ず青くなるが、それが青から白に転じたらもうすぐ死ぬ)と現代語訳している。他にも、周鳳梧と張燦玾の『黄帝内経素問語釈』(1985年山東科学技術出版社)も、ほぼ同意見です。
いやなに、こんな程度の問題にも、最近の名高い教授の間で意見の齟齬が有る。そこへ吾等の仲間も割って入る。いや、おもしろい。
ところが、読書会の仲間のひとりが、「其死也色先青,白乃死矣」と言い出した。考えてみれば確かに、「色が先ず青白くなる」の前後を、「其死也」と「乃死矣」で挟んだのでは、いかになんでもくどい。
そこで調べてみると、竜伯堅の『黄帝内経集解・素問』(2004年天津科学技術出版社 原稿は1957年に完成?)は「其死也,色先青,白乃死矣。」として、「死的時候,面部先呈青色,由青転白就死了。」(死ぬときには、顔色は先ず青くなるが、それが青から白に転じたらもうすぐ死ぬ)と現代語訳している。他にも、周鳳梧と張燦玾の『黄帝内経素問語釈』(1985年山東科学技術出版社)も、ほぼ同意見です。
いやなに、こんな程度の問題にも、最近の名高い教授の間で意見の齟齬が有る。そこへ吾等の仲間も割って入る。いや、おもしろい。
2012年5月13日 星期日
2012年5月12日 星期六
皇帝内経
資料の提供をうけて,日本内経医学会のBLOGに,『漢文文法と訓読処理』の正誤表を書き込みました。
でも,それで全部ではないんです。当たり前だけど。
例えば,226頁の14.41に「黄帝人耶?抑非耶?」とあって,意味は「皇帝は人間なのですか、それともそうではないのですか」だそうです。言うまでもないけれど,ここの皇帝は黄帝の誤りです。
でも,黄と皇は,古来同じ発音ですからね。
秦の始皇帝が皇帝という称号を採用したのも,漢の武帝のときの司馬遷が『史記』を『五帝本紀』の黄帝から書き始めたのも,黄帝と皇帝の関係からだと聞いたことが有ります。実は同じようなもの,と意識されていた,かも。
で,だから,2003年に中国中医薬出版社から出た李今庸先生の『古医書研究』,さすがに本文ではないけれど,著者紹介に『新編皇帝内経綱目』、『皇帝内経索引』を主編とある。現代の一般的な中国人にとっても,黄帝と皇帝なんて,感覚的には同じようなもの,なのかも知れない。
でも,それで全部ではないんです。当たり前だけど。
例えば,226頁の14.41に「黄帝人耶?抑非耶?」とあって,意味は「皇帝は人間なのですか、それともそうではないのですか」だそうです。言うまでもないけれど,ここの皇帝は黄帝の誤りです。
でも,黄と皇は,古来同じ発音ですからね。
秦の始皇帝が皇帝という称号を採用したのも,漢の武帝のときの司馬遷が『史記』を『五帝本紀』の黄帝から書き始めたのも,黄帝と皇帝の関係からだと聞いたことが有ります。実は同じようなもの,と意識されていた,かも。
で,だから,2003年に中国中医薬出版社から出た李今庸先生の『古医書研究』,さすがに本文ではないけれど,著者紹介に『新編皇帝内経綱目』、『皇帝内経索引』を主編とある。現代の一般的な中国人にとっても,黄帝と皇帝なんて,感覚的には同じようなもの,なのかも知れない。
2012年5月5日 星期六
2012年5月1日 星期二
難経訳解
私は『難経』嫌いを標榜している。そして,恩師の島田隆司先生も『難経』嫌いであったかのように思われているのかも知れない。しかし,これには少し説明が要る。
私と島田先生の本格的な縁は,鍼灸師養成学校の三年次,漢方概論の授業に始まる。(本来は小野文恵先生の予定だったが,大病後の為に急遽ピンチヒッターがたてられた。)島田先生の漢方概論には特徴が有って,先ず生徒に『素問』と『霊枢』を買わせる。そして,おおむね『素問』を教科書として話をする。例えば摂生の話なら上古天真論,陰陽の話なら陰陽応象大論,蔵象の話なら霊蘭秘典論とか。(勿論,経脈の話には『霊枢』の経脈篇でしたが。)『素問』の最重要な篇には大雑把ながら目を通したというわけである。そこで卒業後,何人かの同窓生と古典の読書会を始めたときには,対象を『霊枢』とすることにした。島田先生に顧問をお願いして,引き受けていただいたのではあるが,確か発会式と称して一緒に酒を飲んだくらいのものではなかったか。ただ,折に触れてアドバイスはいただいたし,毎週一回の二年ほどで『霊枢』を一応読み終わった後に,次を何にするかの相談にも乗ってもらった。その回答が,実は『難経』である。だから,嫌いというよりは,初心者は用心した方が良いという意味だったと思っている。
つまり,安易なマニュアルとして利用しようということなら,やめたほうが良いという意味だろう。私なんぞは,未だに『難経』にはとらわれそうで,だから避けたい気分が強い。厄介なことである。
『難経訳解』は,こわごわ読んでみた,とりあえず2011年10月末の段階の記録である。 (もう,半年も前だ!)
私と島田先生の本格的な縁は,鍼灸師養成学校の三年次,漢方概論の授業に始まる。(本来は小野文恵先生の予定だったが,大病後の為に急遽ピンチヒッターがたてられた。)島田先生の漢方概論には特徴が有って,先ず生徒に『素問』と『霊枢』を買わせる。そして,おおむね『素問』を教科書として話をする。例えば摂生の話なら上古天真論,陰陽の話なら陰陽応象大論,蔵象の話なら霊蘭秘典論とか。(勿論,経脈の話には『霊枢』の経脈篇でしたが。)『素問』の最重要な篇には大雑把ながら目を通したというわけである。そこで卒業後,何人かの同窓生と古典の読書会を始めたときには,対象を『霊枢』とすることにした。島田先生に顧問をお願いして,引き受けていただいたのではあるが,確か発会式と称して一緒に酒を飲んだくらいのものではなかったか。ただ,折に触れてアドバイスはいただいたし,毎週一回の二年ほどで『霊枢』を一応読み終わった後に,次を何にするかの相談にも乗ってもらった。その回答が,実は『難経』である。だから,嫌いというよりは,初心者は用心した方が良いという意味だったと思っている。
つまり,安易なマニュアルとして利用しようということなら,やめたほうが良いという意味だろう。私なんぞは,未だに『難経』にはとらわれそうで,だから避けたい気分が強い。厄介なことである。
『難経訳解』は,こわごわ読んでみた,とりあえず2011年10月末の段階の記録である。 (もう,半年も前だ!)
【参考書】
郭靄春・郭洪図 『〈八十一難経〉集解』 1984年 天津科学技術出版社
凌耀星 『難経語訳』 1990年 人民衛生出版社
凌耀星 『難経校注』 1991年 人民衛生出版社
何愛華 『難経解難校訳』 1992年 中国中医薬出版社
沈澍農・武丹丹 『難経導読』 2008年 人民軍医出版社
煙建華 『難経理論与実践』 2009年 人民衛生出版社
『黄帝内経素問』 顧従徳本
『黄帝内経霊枢』 明刊未詳本
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