原文は:
提起古籍版本,常使人連想古董,従経済価値着眼,越古越貴重。旧時達官貴人富商大賈常以捜求玩賞古籍而謬托風雅,致使研究古籍版本者往往蒙受玩物喪志之譏。然而版本学之真正価値固不在于斯也。
公刊されている翻訳は:
漢籍の版本といえば,よく人は骨董品を連想し,経済的価値から,古ければ古いほど貴重だ,という見方をする。往時,高級官僚や貴人,富豪・大商人は,漢籍を探し求めて鑑賞し,やたらと風雅にかこつけたので,漢籍の版本研究者は往々にして「玩物喪志」のそしりを受けるようなこともあった。しかし,版本学の本当の価値はもとよりここに在るのではない。
でも,日本人が初めから日本語で,自分のことばとして書いたら,こんな具合じゃないか:
古籍版本などと言いだせば,人は骨董品を思い浮かべて,金銭的な価値観から,古ければ古いほど良いと思いがちである。むかしの成り上がったお偉いさんや大もうけした商ん人は,古籍を買い求めて翫んで,風雅をきどったりした。そこで,古籍版本を研究するなどといえば,玩物喪志のそしりをうけがちである。しかるに版本学の本当の価値は,もとよりそんなところには在るわけではない。
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