2015年6月28日 星期日

張岱『西湖夢尋』に引く

袁宏道『西湖總評』詩:
  龍井饒甘泉,飛來富石骨。蘇橋十里風,勝果一天月。
  錢祠無佳處,一片好石碣。孤山舊亭子,涼蔭瀟林樾。
  一年一桃花,一歳一白發。南高看雲生,北高見月沒。
  楚人無羽毛,能得幾遊越。

ある人曰く,白發は,髮が生するとの意とみる,と。ならば前文に桃花とあるのは,對句的となるためには,赤い桃の花を言うのではなく,さくとの意とみるべきではないか。

2015年6月22日 星期一

咽か嗌か

『山海経』の郭璞注に,「嗌,咽也,今呉人呼咽為嗌」とある。
ところで,『霊枢』経脈篇の心手少陰之脈には,流注には「從心系,上俠」といい,是動病には「乾,心痛,渴而欲飲」という。どうしたことか。
実は馬王堆の陰陽十一脈灸経(甲本)には「【心】痛,益()渴欲飲」とある。流注は咽には至ってない。
あるいは,流注と病症は,由来を異にするのではないか。つまり,古い資料の病症に「嗌渴」あるいは「嗌乾」とあったので,それをそのまま用い,流注に増補された文中には,その当時に普通の字「咽」を用いた。

曲鬢

『甲乙経』巻三に列する穴は先ず,前髮際に中央から左右へ神庭・曲差・本神・頭維,正中線を前から後ろへ上星・顖会・前頂・百会・後頂・強間・脳戸・風府,正中線の両傍一寸五分を前から後ろへ五処・承光・通天・絡却・玉枕,目の上眥から直上して前から後ろへ臨泣・目窓・正営・承霊・脳空,耳の上を行く天衝・率谷・曲鬢・浮白・竅陰・完骨,後髮際を中央から左右へ瘖門・天柱・風池。これらが頭部の諸穴であって,それぞれおおむね一本の線上に配される。
しかし,耳の上だけは,現在の教科書的な説明では,天衝・率谷・曲鬢と前へ行き,天衝・浮白・竅陰・完骨と後ろへ行くことになっている。これはおかしいのではないか。
そこで古い図を探ってみると,例えば呉崑の『鍼方六集』に附属の伏人図では,天衝・率谷・浮白・竅陰・完骨と,前から後ろへきちんと並んでいる。考えてみれはそもそも「頭縁耳上却行至完骨」と題されていた。ところが曲鬢だけは,やはり前の方の正人図に載る。本当は,より古く率谷と浮白の間に曲鬢を配する資料が有ったのではないか。あるいはいっそ曲鬢に関する記述は錯簡してここに在るのではないか。

2015年6月14日 星期日

関長生

名前がらみで変なことを思い出しました。『三国志』の関羽,字は雲長といってますが,元の字は長生などとわざわざいってます。
東晋末期に孫恩というのが反乱を起こしています。五斗米道系の道教集団の反乱で,その一党を「長生人」と呼んでます。五斗米道は,後漢末に張陵が蜀の成都で起こした道教教団で,三代目の張魯が『三国志』にも登場してます。
なにか関係有るんですかね