《说文》:“头,首也。从页豆声。”なんて滑稽なことになる。
「头」は,豆に従って声を得て意を受ける,と言ったって,豆なんてどこに……。
この種の書物くらい繁體字にならないものかねえ。
《说文》:“体,总十二属也。从骨豊声。”
……2013年ころから,「針灸は中国で誕生して,西方で生長した」という議論が段々と国内に伝わって来て,国外の友人から度々わたしに質問が有る。針灸の定義は何か?針灸学の定義は何か?結局のところ「現代中国針灸学」というものは有るのか?前の二つの問題については,わたしも時に考えることが有った。ところが最後の鋭い問題については考えてみたことも無い。当時ただ黙々として自己に問うばかりであった。仮に「現代中国針灸学」なるものが真実存在するとして,わたしにそれと提示することができるだろうか?少なくとも針灸に従事する人が触れられようにできるだろうか?……と言うわけで,黄さんの書は三部作で,続いて『中国古典針灸学大綱』と『中国新針灸学大綱』が出版されるはずです。そして最後の一冊が究極の目的だろうと思います。
……それはまさに邯鄲の夢さめて,もはや余命いくばくもないのに,盧生が遺表をたてまつらんとて,なお二王の字を模写して,後世に流伝させようと考えたのと同じである。……近ごろ,他の人の翻訳のミスが気になってしょうがない。