最近になって気付いたのだが,私の撮った写真には斜めになっているのが多い。つまり水平線であるべきが右肩上がりになっている。写真というものがそうなりがちなものなのか,私の構えかたの欠陥なのか。多分,後者だろう。
しかし,書き文字の場合,右肩上がりが普通だろう。右利きのほうが多いからだ。しかし,簡牘帛書の文字となるとそうとも限らない。ひどく右下がりに書かれたものも有る。
最近,出土文物の字集を取り揃えている。
書法に趣味が有るわけでもないのに,そんなことをするのは,つまり簡牘帛書においてはどの字とどの字が紛れそうなのかを見たいからである。例えば,各と君が紛れることは有りそうである。君の尹がひどく右下がりに書かれることが有る。
陰陽十一脈の所産病に,(馬王堆の)甲、乙本では疒に怨になっているところ,(張家山の)乙本では䏿になっている,らしい。本当は𦙵(夗の下に月)で,つまり疒に怨と同様に,脘と音通するんじゃないか。はてさて簡牘帛書において,𢼄(戸に攵)と夗は,間違えそうなほどに似ているのか。
2013年12月28日 星期六
自ら悼む
他人の死に逢って衝撃を受けるのは,そこに己の死をみるからだ,といった人がある。
大往生だねとか,まだやりかけの為事があったろうに,とか。
まあ,そうした感慨を持つものには,概ね,まだやりかけの為事がある。
だから,概ね,溜め息をつく。
追悼号が出て,追悼大会が開かれる。
追悼大会には参加の予定だが,追悼号に追悼文は書かなかった。
こうしたところへ,いい加減いくつも書いた気分だったからだ。
誰かに逝かれて,その後に突飛な行動をとったとしたら,それはまあ無関係ではない。
中国旅行は,親父の一周忌がすんだら一度とは思っていた。
しかし,それが開封になったのは,多分,他にわけがある。
彼は,そこそこ功なり名をとげたんじゃないか。
私はまだ,何もしていない。
大往生だねとか,まだやりかけの為事があったろうに,とか。
まあ,そうした感慨を持つものには,概ね,まだやりかけの為事がある。
だから,概ね,溜め息をつく。
追悼号が出て,追悼大会が開かれる。
追悼大会には参加の予定だが,追悼号に追悼文は書かなかった。
こうしたところへ,いい加減いくつも書いた気分だったからだ。
誰かに逝かれて,その後に突飛な行動をとったとしたら,それはまあ無関係ではない。
中国旅行は,親父の一周忌がすんだら一度とは思っていた。
しかし,それが開封になったのは,多分,他にわけがある。
彼は,そこそこ功なり名をとげたんじゃないか。
私はまだ,何もしていない。
2013年12月25日 星期三
MEMENTO MORI
そして,NEVER MORE,またとなけめ,死は全てを終わるものである,何も無い。
百歩さがって千歩さがって万歩さがって,何かが有れば,それは別の生であって,本物の死ではない。
あちらには無いということすらも無い。
陰陽とか虚実とか,有無とか生死とかは,こちらがわにおいて相対し,完結する。
あちらとかこちらとかも,こちらがわだけに存る。
遺されたものにとっては,逝ったものは,逝った先に存る。
逝ったものにとっては,……何も無い。
過去は記憶に過ぎず,未来は予測でしかない。
あるのは現在のみ,そして現在は永遠である。
CARPE DIEM
百歩さがって千歩さがって万歩さがって,何かが有れば,それは別の生であって,本物の死ではない。
あちらには無いということすらも無い。
陰陽とか虚実とか,有無とか生死とかは,こちらがわにおいて相対し,完結する。
あちらとかこちらとかも,こちらがわだけに存る。
遺されたものにとっては,逝ったものは,逝った先に存る。
逝ったものにとっては,……何も無い。
過去は記憶に過ぎず,未来は予測でしかない。
あるのは現在のみ,そして現在は永遠である。
CARPE DIEM
2013年12月24日 星期二
2013年12月21日 星期六
なまけものの養生法
『靈樞』經脈篇:灸①則強食生②肉、緩帶被髮、大杖重履而步③。
①灸:陰陽十一脈灸經作“久”。
②生:陰陽十一脈灸經作“産”。
③重履而步:此後陰陽十一脈灸經有“久幾息則病已矣”七字。
病が久しければ瘦せ衰えているだろうから、食事を強いてでも肉づきを回復させ、この際、礼儀作法なんぞかまうことはないから、ゆったりした服装でざんばら髮で、步行もふらつくだろうから、しっかりした大きめの杖を持たせ、足が冷えるだろうから履き物を二重にさせる。こんな具合にして、充分に休息させれば、病もそのうち癒えるだろう。
あるいはまた『素問』四氣調神大論:冬三月,此謂閉藏,……早卧晩起,必待日光。
王冰注云:避於寒也。
①灸:陰陽十一脈灸經作“久”。
②生:陰陽十一脈灸經作“産”。
③重履而步:此後陰陽十一脈灸經有“久幾息則病已矣”七字。
病が久しければ瘦せ衰えているだろうから、食事を強いてでも肉づきを回復させ、この際、礼儀作法なんぞかまうことはないから、ゆったりした服装でざんばら髮で、步行もふらつくだろうから、しっかりした大きめの杖を持たせ、足が冷えるだろうから履き物を二重にさせる。こんな具合にして、充分に休息させれば、病もそのうち癒えるだろう。
あるいはまた『素問』四氣調神大論:冬三月,此謂閉藏,……早卧晩起,必待日光。
王冰注云:避於寒也。
訂閱:
文章 (Atom)