やっぱり人迎脈口診が気になる。
人迎と脈口を比べて,どちらがどれだけ大きいから,病はどの脈に在るという,『霊枢』終始篇や経脈篇の方法は,失敗に終わった試みじゃ無いかと思う。
禁服篇にも,その方法は有るから,相当に古い試みだとは思うけれど,それぞれの脈状を診て,どんな病状であるかを言うほうが原形だろう。人迎が盛んであれば熱,虚していれば寒,緊であれば痛痺,代であればたちまち甚たちまち間。寸口(=脈口)が盛んであれば脹満,寒中して食化さず,虚していれば熱中して麋を出し,少気し,尿の色が変じ,緊であれば痛痺,代であればたちまち痛み,たちまち止む。
五色篇には大きさで「どこに」をいうことは無く,脈状での「どんな」だけである。人迎と脈口の脈状がどんなふうだと,病は甚だしくなるとか,外に在るとか内に在るとかを診る。その他に,人迎が盛堅であれば寒に傷られたのであり,気口(=脈口)が盛堅であれば食に傷られたのであると言う。
まず,このあたりが人迎脈口診の本来じゃ無いか。
井上雅文先生の人迎気口診は,脈状診である。その点は,大いに納得できる。
問題は,「左人迎,右気口」のほうである。左右に割り振って,大丈夫なのか。『素問』『霊枢』に根拠を求めると,また「復古尊経学者」なんてからかわれそうだが,気になるものはしょうが無い。
左右の脈に違いが有って,それによって,何かを言おうとする篇なら,無いことも無い。言っているのは,『素問』の病能論のことです。かなり前から口にしたり,BLOG記事にしたりしているけれど,あまりにも手応えが無いんで,またぞろ書き込みました。しょうもないことが気になる。因果な性格です。
『太素』巻16 診候之三・雑診の文章に拠れば:
黃帝曰:有病瘚者,診右脈沉,左脈不然,病主安在?
歧伯曰:冬診之,右脈固當沉緊,此應四時,左浮而遲,此逆四時,在左當主病,診在腎,頗在肺,當腰痛。
曰:何以言之?
曰:少陰脈貫腎上胃肓,絡肺,今得肺脈,腎爲之病,故腎爲腰痛。
黃帝曰:善。