2012年9月30日 星期日

句読を正す?

『素問』氣穴論:背與心相控而痛,所治天突與十椎及上紀,
王冰注:……按今《甲乙經》、《經脉流注孔穴圖經》當脊十椎下並无穴目,恐是七椎也,此則督脉氣所主之。……(郭靄春主編『黄帝内経素問校注』1992年人民衛生出版社)
按ずるに,「穴目」などという詞語は見慣れない。おそらくは「目」は「且」の誤りであり,「……當脊十椎下並无穴恐是七椎也,……」と句読すべきであろう。「脊の十椎の下に当たりては並びに穴无し,且(まさ)に恐くはこれ七椎とすべきなり」と訓みたい。ただし,渋江抽斎、森立之が句読、返り点を施した安政版影顧従徳重彫本も,最近の中国の范登脈校注本(2011年科学技術出版社)も,『黄帝内経素問校注』と同じ。それどころか,「且」だろうなどという先人は,未だ見つからない。ただ,馬蒔の注に「但十椎下無穴是大椎也」とあるのは,参考になりそうである。

2012年9月26日 星期三

まだまし (^^;) かも

「魚を釣る島は古来よりうちの神聖な領土だ」と言うのと,「いくつもの歴史資料からして尖んがった楼閣らの所有権はうちに属する」と言うのと,どちらが正しいのか。まあ,双方に主張が有るだろうが,少なくとも日本の政府としては,国が購入しておいたほうが,東京都に購入されるよりは,まだしも扱いやすいと考えたんじゃないか。東京都の知事は彼の人なんですよ。東京都のものなんだから,好きなようにする!なんてことをされたら目も当てられない。

2012年9月23日 星期日

内経霊素考辨

中国中医薬出版社から『内経霊素考』というのが出ています。
1992年だか1993年だかに,同じ出版社から『内経霊素考』というのが出ています。今回のは,同じ著者連中で「辨」というのだから,その後の考察でも加えたのかと思って取り寄せてみたけれど,今のところどこがどうなったのか,さっぱり解りません。多分,そのまんまなんでしょう。
以前に読んだとき困惑した箇所もそのままです。最大のものの一つは,今度の書物でいえば52ページです。
 『素問・蔵気法時論』に,「肝病者,両脇下痛引少腹,令人善怒,虚則目䀮䀮無所見,耳無所聞,善恐如人将捕之,取其経厥陰与少陽。気逆則頭痛耳聾不聡頬腫,取血者。」とある。このうち,「両脇下痛引少腹」は足厥陰肝経の病候であるが,外はいずれもそうではない。「善怒、目䀮䀮無所見、善恐如人将捕之」は『足臂』には見えないが,『陰陽』の少陰脈の病候に記載が有り,『経脈』の少陰の病候に見えるが,ただ「善怒」の一症は無い。後文の「頭痛、耳聾不聡、頬腫」は,『足臂』の足少陽脈には見えない。『経脈』の足少陽の脈には僅かに「頭痛」の一症を載せるが,『陰陽』の耳脈(即ち足の少陽脈)の病には,「頭痛、耳聾不聡、頬腫」の四症がともに見える。だから,『蔵気法時論』の「肝病者」の一段は,『陰陽』の後を継いだ著作の中の足の厥陰、足の少陰、足の少陽の三脈の病症からの選輯であると言える。この段の文字がもし錯簡,あるいは伝抄の誤りでないとすれば,『蔵気法時論』と『素問』のその他の論文とは,一時一人の手に出るものではないとしか説明のしようがない。
二十年前には,その論述の新鮮さ大胆さを喜んだけれど,今回もそれは変わりません。ただ,二十年前にも,著者らの思い違いを危ぶみ引用のミスを疑ったけれど,それも未だ変わらない。

2012年9月21日 星期五

医古文

「供中医学含骨傷方向針灸推拿学等専業用 全国高等中医薬院校教材」の『医古文』第2版が届きました。主編はあの沈澍農さんです。世代の移り変わりを痛感します。(あまり年の違わない)師匠としての銭超塵さんとか段逸山さんとかと交流していた時代から,(年下のはずの)同輩として付き合いだした友人たちへと,バトンが渡りつつあるようです。そう言えば,同じシリーズの『中国医学史』の主編は,あの梁永宣さんでした。『内経講義』第2版の賀娟さん蘇穎さんには,韓国ソウルでの学会でお会いしたことが有ります。

2005夏・東京・沈澍農教授講演会後の懇親会
左側前の3人=梁永宣・崔為・郭秀梅 右側前の3人=陳捷・王鉄策・沈澍農

2012年9月18日 星期二

人迎脈口診

やっぱり人迎脈口診が気になる。
人迎と脈口を比べて,どちらがどれだけ大きいから,病はどの脈に在るという,『霊枢』終始篇や経脈篇の方法は,失敗に終わった試みじゃ無いかと思う。
禁服篇にも,その方法は有るから,相当に古い試みだとは思うけれど,それぞれの脈状を診て,どんな病状であるかを言うほうが原形だろう。人迎が盛んであれば熱,虚していれば寒,緊であれば痛痺,代であればたちまち甚たちまち間。寸口(=脈口)が盛んであれば脹満,寒中して食化さず,虚していれば熱中して麋を出し,少気し,尿の色が変じ,緊であれば痛痺,代であればたちまち痛み,たちまち止む。
五色篇には大きさで「どこに」をいうことは無く,脈状での「どんな」だけである。人迎と脈口の脈状がどんなふうだと,病は甚だしくなるとか,外に在るとか内に在るとかを診る。その他に,人迎が盛堅であれば寒に傷られたのであり,気口(=脈口)が盛堅であれば食に傷られたのであると言う。
まず,このあたりが人迎脈口診の本来じゃ無いか。
井上雅文先生の人迎気口診は,脈状診である。その点は,大いに納得できる。
問題は,「左人迎,右気口」のほうである。左右に割り振って,大丈夫なのか。『素問』『霊枢』に根拠を求めると,また「復古尊経学者」なんてからかわれそうだが,気になるものはしょうが無い。
左右の脈に違いが有って,それによって,何かを言おうとする篇なら,無いことも無い。言っているのは,『素問』の病能論のことです。かなり前から口にしたり,BLOG記事にしたりしているけれど,あまりにも手応えが無いんで,またぞろ書き込みました。しょうもないことが気になる。因果な性格です。
『太素』巻16 診候之三・雑診の文章に拠れば:
黃帝曰:有病瘚者,診右脈沉,左脈不然,病主安在?
歧伯曰:冬診之,右脈固當沉緊,此應四時,左浮而遲,此逆四時,在左當主病,診在腎,頗在肺,當腰痛。
曰:何以言之?
曰:少陰脈貫腎上胃肓,絡肺,今得肺脈,腎爲之病,故腎爲腰痛。
黃帝曰:善。

2012年9月5日 星期三

気韻生動

……ここで重要なことは、張彦遠は、絵の出来をすべて人品に帰しているのではない、という事実である。……顧愷之に対する李嗣真の評語、「顧愷之のような才流を下品に置いていいものか」に対して、張彦遠は、「我々は絵画を評価しているのであって、才流を問題にしているのではない。李氏の発言はあやまっている」とはっきり言っているのだ。張彦遠自身、……「絵描きというものは人品が高くなければならない」と発言しているのは確かなのだが、あくまでも作品の出来が重要だという一線を越えてはいない。それは、後世いわゆる士大夫画に関して、まるで「しろうと画」としか言えぬものも、人品のみで評価しようとする考え方とは違うのである。……
宇佐見文理著 『歴代名画記』―〈気〉の芸術論 (2010年 岩波書店)より

なんとまあ、中国伝統医学の世界における,熱意と情愛だけではなくて,しっかりした技術が前提なんだよ,という忠告と似ていることよ。

2012年9月3日 星期一

9月の読書会 もう一度

8月をお休みにした代わりとして,9月の読書会は,もう一度やりましょう。
9月30日(日)午後1時~5時
場所はいつものところの 二階の多目的室 です。