2012年9月18日 星期二

人迎脈口診

やっぱり人迎脈口診が気になる。
人迎と脈口を比べて,どちらがどれだけ大きいから,病はどの脈に在るという,『霊枢』終始篇や経脈篇の方法は,失敗に終わった試みじゃ無いかと思う。
禁服篇にも,その方法は有るから,相当に古い試みだとは思うけれど,それぞれの脈状を診て,どんな病状であるかを言うほうが原形だろう。人迎が盛んであれば熱,虚していれば寒,緊であれば痛痺,代であればたちまち甚たちまち間。寸口(=脈口)が盛んであれば脹満,寒中して食化さず,虚していれば熱中して麋を出し,少気し,尿の色が変じ,緊であれば痛痺,代であればたちまち痛み,たちまち止む。
五色篇には大きさで「どこに」をいうことは無く,脈状での「どんな」だけである。人迎と脈口の脈状がどんなふうだと,病は甚だしくなるとか,外に在るとか内に在るとかを診る。その他に,人迎が盛堅であれば寒に傷られたのであり,気口(=脈口)が盛堅であれば食に傷られたのであると言う。
まず,このあたりが人迎脈口診の本来じゃ無いか。
井上雅文先生の人迎気口診は,脈状診である。その点は,大いに納得できる。
問題は,「左人迎,右気口」のほうである。左右に割り振って,大丈夫なのか。『素問』『霊枢』に根拠を求めると,また「復古尊経学者」なんてからかわれそうだが,気になるものはしょうが無い。
左右の脈に違いが有って,それによって,何かを言おうとする篇なら,無いことも無い。言っているのは,『素問』の病能論のことです。かなり前から口にしたり,BLOG記事にしたりしているけれど,あまりにも手応えが無いんで,またぞろ書き込みました。しょうもないことが気になる。因果な性格です。
『太素』巻16 診候之三・雑診の文章に拠れば:
黃帝曰:有病瘚者,診右脈沉,左脈不然,病主安在?
歧伯曰:冬診之,右脈固當沉緊,此應四時,左浮而遲,此逆四時,在左當主病,診在腎,頗在肺,當腰痛。
曰:何以言之?
曰:少陰脈貫腎上胃肓,絡肺,今得肺脈,腎爲之病,故腎爲腰痛。
黃帝曰:善。

4 則留言:

  1. 右の脈はもとより季節に応ずるとすると,冬には沈緊であるのが当たり前。
    左にあっては病を主るはずである。浮いて遅いとすると,腎(遅?)に病のおおもとがあって,肺(浮?)に及んでいると考える。とすると,腰痛というのは,なるほど!である。
    とすると,左の人迎で外からの風熱燥寒湿の影響を診,右の寸口で内部で起こってくる事態を診ることとは,相反するのではないか?
    とすると,ヤバイ!ことはなかろうか?

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  2. 脈に左右の違いが有る理由付けとして、外は陽で左、内は陰で右という以外に、何か無いんでしょうか。

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  3. 五色篇では,人迎が盛堅であれば寒に傷られたのである。外からの気象の影響で様々に変化するととってよかろう。気口が盛堅であれば食に傷られたのである。飲食以外に,内からの感情とか疲労とかも関わると解釈していいのではないか。
    禁服篇の「どんな」の方では,人迎の盛虚で診る熱と寒は,外からの気象と考えてよかろう。寸口の盛虚で診るのは寒中か熱中かで,内で起こっている事態である。その代表的な症状は,脹満か飱泄かと,概括して考えてみたい。(緊であれば痛痺,代であればたちまち甚たちまち間は,まあ人迎と寸口に共通する。)
    脹満か飱泄かとなると,九針十二原篇でも,十二原の後ろに唐突に出る。衍文とみる注家が多いけれど,六府の状況をそのように二大別して考えるグループが有ったんじゃないか。それに,鳩尾と脖胦で対処する。

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    1. この人迎と脈口は、足陽明脈の代表的な搏動(つまり陽の代表)と手太陰脈の代表的な搏動(つまり陰の代表)のことですよ。左右の手首じゃない。

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