2016年9月5日 星期一

吏即來救信

……往冬時、爲王使於楚、至莒縣陽周水、而莒橋梁頗壞、信則擥車轅、未欲渡也、馬驚即墮、信身入水中、幾死、吏即來救信、出之水中、衣盡濡……
『史記』倉公伝・診藉
信は車轅(ながえ)を擥(つか)んでいたのだから,車からは降りて橋の上に立っていたはずだと思う。車に乗ったまま,ながえをつかんだのでは,かえって危険だろう。壊れた橋の上に立ち,車のながえにすがって,水の流れをのぞき込んでいたとしたら,馬が驚けば橋の上の信も流れに墜ちる,ことはそれはあるだろう。


助けてくれたという吏はどこにいたのか。車が上図のようなものだったとすると,乗ってきたのは御者と信だろう。御者が救ってくれたのなら,「御者が救った」と書くだろうから,吏はお供の中にいたと思う。それが悲鳴を聞いてとんで来て,水中から救い出してくれた。呼びに行って,駆けつけて,というような悠長なことではなかったと思う。立っていた場所から直に飛び込んで,だったかも知れない。それでも「吏即來救信」と書いたんじゃないか。この「來」に,「やってきて」とわざわざ訳すような,それほどに重い意味は無いんじゃないか。「即」のほうが大事なんじゃないか。

6 則留言:

  1. そもそも、来とは何処から何処へなのか。
    お供の群れから橋までなのか、橋の上から水の中へなのか。
    来てたすけてくれたか、たすけに来てくれたか。

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  2. 『古代漢語虚詞通釈』(1985 北京出版社)

    助詞
    (二)句中に在って語気を加強する作用を起こし,或るものは音節上の需要である。訳出しなくとも可。例えば:
    (2)既酔既飽,福禄来反。(『詩・周頌・執競』)――反:復。

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  3. 『史記』の中に「來救」という用例はかなり有ります。大抵はどこかの国が攻撃されていて,それを救う話です。だから,「来たり救う」とでも訓読するんでしょうが,意味としては,「来て救う」というより,「救いにきた」という感じじゃ無いかと思うわけです。二字の内の片方の意味がうんと重い。こういうのを語法的にどういうのかは知りません。偏義では無い。

    そもそも気になっていたのは,堕っこちて直ぐに助けられたんでしょう,なんです。肝心なのは,寒中に川に堕ちて濡れ鼠になったのが病気のはじまりというのであって,溺れかけたというのは関係ないんでしょう,なんです。本当はびっくりしたのも病因かもしれないけど,倉公は気にしてない。

    考えてみると,「擥車轅、未欲渡」だって,たんに車を停めさせて,渡るのを躊躇しているのかも知れない。『史記』には,「擥」はもう一度,袁盎鼂錯列伝に「文帝從霸陵上,欲西馳下峻阪。袁盎騎,并車擥轡。上曰:“將軍怯邪?”盎曰:“臣聞千金之子坐不垂堂,百金之子不騎衡,聖主不乘危而徼幸。今陛下騁六騑,馳下峻山,如有馬驚車敗,陛下縱自輕,柰高廟、太后何?”上乃止。」と見える。「車に并して轡を擥る」,轡を擥(と)る≒ひきとめる,だよね。

    自戒:穿鑿が過ぎると,かえってややこしい。

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  4. 説明に用いた画像,うっかりすると御者が前に,信は後部座席に,みたいですが,そうじゃないようです。左右に並んで座ったらしい。人力車をイメージすると分かりやすいかも知れない。間に傘の支柱が有ります。
    また,画像石の省略部分には,何人もの騎馬が従ってます。なかに泳ぎが達者な吏がいて,とっさに下馬して流れに飛び込んだ。

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  5. よく考えてみると,信は「身入水中」で、吏が「出之水中」なんですね。
    吏は別に飛び込んでないんでしょう。強力で引っ張りあげた。
    信はそこそこの身分だから,倉公の診治を得たけれど,吏はほっておかれたとか,頑健だから病まなかったとかじゃなくて,吏は別に「衣盡濡」になってないんだ。

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  6. いろいろぐちゃぐちゃやった揚げ句の教訓として,古典の訳は,字面に無いことは黙っていた方が無事,みたいです。(でも,結構たのしめた。)
    「車轅を擥して」停車させて,躊躇して「未だ渡るを欲せず」にいると,「馬が驚いて即ち堕ち」て,したがって車が橋から堕ちて,したがって「信の身は水中に入る」ということになった。多分,よじ登ることが出来なかったんだろうけど,余計なことは言わない方が良い。「吏が即ち来たり信を救い」,多分,別に流れに飛び込むまでもなく,手を貸して引っ張り上げて,「これを水中より出した」。

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