鍼灸師の学問資料の取り扱いかたなど、あんまり疑ってもみなかったというか、ほんとはほとんどあてにしてないというか。
中年にさしかかるころから、ふとした気まぐれに、手にとって、見よう見まねに、うろ覚えに、気になるところを突きとめようとする。所詮、学者先生のようにはいきません。それなのにやるのは、学者先生が気にかけてくれないのが第一で、第二には、突拍子もないことを言い出すのは素人の特権で、そして第三には、だって面白いんだもの。先生さまに独占させておくことはない。
でも、鍼灸師にも、日本内経医学会の会員にも、もともと大学での専門が漢籍だった、なんて人もいそうだし、その人たちの学問資料の取り扱いが、堂に入ったものかどうかなんて、それも知らない。
でも、たとえば、南京あたりの新進気鋭の教授が、われわれの異見を悦んで、聴いてくれているのは、虚を突くような奇想を、期待するからじゃなかろうか。
常識が必要なのは当たり前です。たとえば、推薦図書一覧に、はじめての漢籍、なんて本があがったら、読んでみようかと思うのが普通でしょ、日本内経医学会の会員だったら。
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