2012年3月31日 星期六

春刺散兪

『素問』診要経終論篇第十六に「春刺散兪」とあって、多紀元堅の『素問紹識』に先兄(多紀元胤)曰くとして、「按ずるに、散兪は本輸に対して言う、譬えば太陰肺経のごときは、少商、魚際、大淵、経渠、尺沢の外は、共に間散の穴と為し、これを散兪と謂う」とあるが、これは採りづらい。(それにしても、『素問攷注』に引くのに「太陽肺經」とするのはなんともはや。それは確かに小島宝素本では「太陽肺經」だが、「陽」字は誤りだから訂正すべしとシルシを付けている。多紀元堅が最晩年まで書き継いだ自筆稿本では、ちゃんと「太陰肺經」になっている。)
按ずるに、診要経終論と『素問』四時刺逆従論篇第六十四には、相通じるところが多い。四時刺逆従論の帝曰には「春氣在經脈」とあるが、応じた岐伯曰には「人氣在脈」だからとある。この脈は、実は経脈ではなくて、血脈なのではなかろうか。『太素』巻二十一の九針要道に「血脈在輸橫居」とあり、楊上善注では「脈が輸穴の中に横居してある」という。つまり、輸穴というものは、今日の通念のように必ずしも経脈上に配置されるべきものではなく、身体上に散在するものであり、そこに血脈としてわだかまったものは取り除くべきである、といったものであった可能性がある。輸に在る血脈に春の気、絡に在る絡脈に夏の気を配する。まあ、その程度には微妙に異なるが、春と夏とでは、刺すべき対象にそんなに違いは無いのだろう。輸に在る血脈は、絡脈あるいは孫絡に在るよりは、まだやや深い。
で、診要経終論では、気は春には身体の処々に散在する兪に芽生えるとし、四時刺逆従論では、そこに横たわった血脈に息吹としてあらわれるとする。結局、同じようなことなのだろう。
散兪は、素直に「身体の処々に在する穴」で、よさそうに思う。

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